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袋セリ

威勢のよい声が飛び交う魚市場では、日々沢山の漁業関係者が魚を並べ、多くの買い手がよりよい魚を仕入れようと足を運んできます。
「セリ」とは漢字で「競り」と書くように、一人の売り手と二人以上の買い手が駆け引きをしながら、よりよい品物を仕入れるために行う売買方法のことです。
卸売市場では、このセリを行いながら日々関係者たちが競い合い、売買された(セリ落とされた)品物は消費者が利用する店舗や飲食店へ流通しているのです。
セリの方法は様々で、商品や地域ごとに使い分けられています。
その中でも、ふぐという魚のみが用いられているセリをご存知でしょうか。
現在では、山口県にある魚市場「南風泊(はえどまり)市場」でのみ執り行われているふぐの伝統的なセリ方法です。
「袋セリ」と呼ばれるこのセリは、いかに昔からふぐは珍重され、特別な取引をされてきたかを物語るセリ方法と言えます。
今もなお山口県が伝統を紡いでいる「袋セリ」について、日本の市場とセリの成り立ちを追ってみながら詳しく見てみましょう。
プロの世界、鋭い目利きが成させる技「袋セリ」について解説します。

日本の市場、誕生と歴史

日本の市場、誕生と歴史

日本でセリのはじまりを紹介するには、先ず「市」のはじまりを見る必要があるでしょう。
市のはじまりの歴史は古く、貨幣誕生以前より、人々は生活のために互いに商品を見せ合い物々交換をして生計を立てていました。
その後時代の流れと共に貨幣制度が確立され、「市」は政府が介入して「市場」という大きなコミュニティを作り上げました。

市場が整うと、生産者(売り手)と消費者(買い手)は平等な方法で、より素早く適正な値段で商品を売買できるようにと、多種多様な方法で競り合うようになりました。
日本の市場と魚市場誕生の経緯を、歴史の流れに沿って見ていきましょう。

市場のはじまり

市が立つ場所は、主に農民や漁民が行き交う交通の要所で、人々の往来がその土地を栄えさせました。
現在の様な貨幣制度がなかった弥生時代(紀元前4世紀~紀元後3世紀中頃)以前では、物品貨幣として米や絹や布などがお金の代わりに用いられ、物々交換で互いに必要なものを手に入れていました。

日本での市のはじまりは、奈良時代(710年~794年)に作られた日本最古の歴史書「日本書紀」(720年)に記されています。
それによると「古代の三市」と称される、奈良県(飛鳥)の海石榴市(つばいち)や軽市(かるのいち)、大阪府(河内)の餌香市(えがのいち)は一大中心地であったようです。

大宝律令(701年)と共に、より安定した場を確立させるべく中国の官僚制を取り入れた「市場」が設けられました。
統制市場には監督官庁が置かれ、市場の場所や品物の価格は市司が決定していました。
この頃に制度化された市場が今日の基盤となっています。

魚市場のはじまり

市場の発生において、時の権力者の影響を受けた例もあります。
例えば東京で魚市場のはじまりは、江戸時代(1603年~1868年)初代将軍徳川家康の命がきっかけとなりました。

本能寺の変により窮地に立たされた家康を救ってくれた、摂津(大阪府)の佃村漁師とのおもしろい逸話です。
江戸に入った家康は、恩人である佃村の漁師(森孫右衛門)たちを呼び寄せ、特別な漁業権を与えて江戸に移住させます。
家康の佃村の漁師に対する信頼は厚く、江戸城に魚を献上させた後の残った魚を日本橋のたもとで売る特権も与えました。
元々日本橋には東京湾で漁獲された魚を売るための、魚河岸(うおがし)は存在していましたが、森孫右衛門によって取り仕切られ、魚を獲る人とそれを売りさばく人との役割分担が成されるようになったといいます。

この魚河岸は大変な賑わいを見せ、諸国から様々な海産物が集まり栄えました。
これが東京の魚市場のはじまりと言われており、関東大震災の影響で築地へ移転するまでの300年以上もの間、江戸の人々の生活を支える要所となったのです。

中央卸売市場の誕生

中央卸売市場誕生の背景には、市場の統制が取れず、米の買い占めや独占販売などの問題が生じ、大正7年に起きた米騒動という事件が大きなきっかけとなったと言われています。
それまでの日本の市場は、不公平な取引による非効率的な流通がみられ、食品に掛かる消費者の負担が重くなりつつありました。

そこで大正12年3月に中央卸売市場法を設け、複数の問屋業者を統合し、公設の卸売市場を誕生させます。
それにより、不合理な取引が発生せず、流通経費の削減も可能となり、消費者の生活を安定させる市場へと進化していきました。
中央卸売市場法とは、国が法をもって市場を統制し、流通の乱れや価格の安定化を図るために確立された法的な制度です。
なぜ市場を統制する必要があったかというと、主に三つの理由が挙げられます。

① 人口の集まる都市部に、効率よく食品を流通させる必要があった。
② 雑多で管理が行き届きにくい既存の市場をきちんと区画整理し、衛生面において整える必要があった。
③ 買い占めや独占販売など、公平でない取引を無くし、無駄なく安定した取引を実現したかった。

このような理由から、都市部の市場を取りまとめ、中央卸売市場の開発が進んでいったのです。

昭和2年に京都が全国で最初に中央卸売市場を始動し、その後高知、神奈川(横浜)、大阪、兵庫(神戸)、東京(築地、神田、江東)、などの主要都市で、消費者と生産者を橋渡しする場としての中央卸売市場が生まれました。
中央卸売市場法を定め、中央卸売市場を設ける計画は明治時代後期から議論されていましたが、中央卸売市場以外の小規模な市場は対象外となるため、法的な効力をもたない類似した市場の乱立で、公正で公平な取引の統一が難しいという悩みがありました。

その問題を考慮してこの法律は1971年に廃止され、新しく卸売市場法へと改定されました。
新しい卸売市場法では、農林水産省管轄の中央卸売市場と各都道府県知事管轄の地方卸売市場に分類し、大小規模全ての市場に対して公正な取引の安定化を実現しています。

セリの仕組みと、ふぐの「袋セリ」

セリの仕組みと、ふぐの「袋セリ」

大正12年(1923年)に、中央卸売市場法で生鮮食料品のセリについて原則が定められ、中央卸売市場での売買方法は、基本的にセリ売りのみと決められました。
セリは「競り」や「糶」とも書き、売り手と複数の買い手による競争売買のことです。
買い手が欲しい物を駆け引きにより競争しながら品物を落札するため「競り落とす」と表現します。

セリ自体は以前から、材木や牛馬の取引で行われていました。
魚市場の場合、ほとんどの魚介類は水揚げされた後、セリ市を通して市場に流通していきます。
魚市場でのセリ市は、江戸中期の将軍徳川吉宗の時代である享保年間(1716~1736年)の日本橋で確立されたと言われています。

ではセリの方法には、具体的にどのような種類があるのでしょうか。
現在では、売り手の提示する価格から値段を上げていき、最も高値をつけた買い手がセリ落とす「セリ上げ方式」を取り入れている市場がほとんどです。
セリの仕組みについて解説しつつ、現在ふぐの取引でのみ使用されている伝統的な「袋セリ」とはどのようなセリなのかをご説明します。

卸売市場の取引方法

卸売市場では、買い手が皆公平に品物を購入できるように、セリ売り、入札、相対取引の三つの方法で取引を行っています。
入札とは、買い手が希望金額などを明記した紙(札)を売り手へ提出し、一番高い金額を提示した人が購入する方法です。
相対取引は、売り手と買い手が価格や数量について交渉し、交渉がまとまれば取引を行う方法です。

そしてセリ売りは、入札と同様に一番高い金額を提示した人が購入となるのですが、何度でも競って提示額を変更でき購入する方法です。
主に生鮮食品で用いるセリ売りには様々な種類が存在します。
先ずセリ売りの、値動きについて解説します。

セリ下げ方式
売り手が値段を下げていき、最初に手を挙げた買い手がセリ落とす方式です。
バナナの叩き売りで用いられることで有名ですが、現在ほとんど見なくなっています。
セリ上げ方式
オークション形式と言われるもので、買い手が値段を上げていき、最も高値をつけた買い手を売り手が素早く判断し決定する方式です。
この方法は、「声セリ」、「札セリ」、「袋セリ」の三つに分類されます。

セリの種類と仕樣について

生鮮食料品を売り買いする市場では、主に二つの形式でセリを行っています。
買い手の前に1品ずつ商品や見本を出してセリ合う「固定セリ」と、買い手が商品の前に移動して行う「移動セリ」です。
どちらも利点があり、固定セリは短時間で多くの商品をセリ落とすことができるスピード重視のセリです。

移動セリは、実際の商品を近くで吟味してからセリを行えるよさがあります。
寿司ネタで人気のまぐろは、この移動セリで行われており、買い手が尾の切り口を見て味や脂のノリ具合を目利きしセリに挑みます。
またセリのやり方も様々で、主に下記三つの方法でセリを行っています。

声セリ
魚市場で最も多く使われているセリの方法です。
買い手がそれぞれ買いたい値段を言い合い、最も高値を言った買い手がセリ落とす(購入する)ことができます。
札セリ
欲しい魚のカゴへ買いたい値段を書いた札を、裏返しにして入れていきます。
開票の合図と共に、札を表に返し最も高値を書いた買い手がセリ落とす(購入する)ことができます。
袋セリ
黒い袋の中で売り手と買い手が手を握り合い、指の握り方で価格を競い合います。
最高値を出した買い手がセリ落とす(購入する)ことができます。

下関・南風泊市場で受け継がれている「袋セリ」

「ええが!ええが!」の掛け声と共に繰り広げられる「袋セリ」は、ふぐ独特のセリ方法として有名です。
袋セリを行う魚はふぐのみのため、別名「ふくセリ」と呼ばれるほど、ふぐだけの特別なセリ方法なのです。

昔、市場の業者は袖の長いカッパを着ており、セリは他者に値段がわからないように袖口に手を入れて指の握り合いで価格を決めていました。
いつしか袖の長いカッパが廃れていき、その名残として黒い筒状の袋を用いて、袋の中でやり取りをするようになり今日に至っています。

売り手と買い手が対になっておこなう袋セリは、買い手の人数分セリ合う必要があるため、決して効率のよいセリ方法とは言えません。
なぜふぐだけは、この袋セリが継承されつづけたのでしょうか。
昔からふぐの味わいは格別で、代替の利かない唯一無二の魚として珍重されていたことにヒントがあります。
実は他の魚と同じようにオープンなセリ合いだと、大時化(おおしけ)でふぐの水揚げが乏しかった日に、代わりの利かないふぐを巡ってセリ場が荒れてしまったのです。
ふぐ屋が「店に出すふぐが無い」となると、必死になるのは必然ですが、セリ場で無茶な争いが起きない様に、袋の中でやり取りをするクローズのセリ方法が受け継がれたと言われています。

現在では、下関唐戸市場から分離した南風泊(はえどまり)市場でのみ、この伝統的な袋セリは行われています。
ふぐの街と呼ばれる下関が歴史の中で紡がれてきた背景を後世に伝えたいという、熱い想いを感じる袋セリです。

南風泊市場がふぐの流通拠点となった3つの理由

消費者生活の安定とセリの存在

消費者生活の安定とセリの存在

普段私たちが何気なく購入している品物の多くは、市場を通って販売店に並んでいます。
全国どこでも安定した価格で欲しい商品が手に入り、生活はとても便利になっています。

私たちの先祖は、必要な物を手に入れるため、手持ちの物と物々交換という方法を用い、相手と交渉をする知恵をつけました。
その後、物資が乏しい時代には売り手の強みが表面化し、人々の生活は売り手至上主義に陥りそうになります。
買い占めや独占販売などの流通の乱れは、そのまま消費者の生活の乱れにつながります。
その危機を脱するために、政府は市場という守られた場所を築き、価格と流通の安定化を図りました。
いつでも公正で公平な流通を実現するためには、「法」で守られた市場の存在が不可欠だったのです。

複数の買い手が駆け引きをしながら商品をセリ合う様子は、真剣勝負です。
この公平なセリ売りがあることで、消費者は適正な価格で安心して買い物をすることが出来るのです。

セリの方法は複数ありますが、目を引くのはふぐ独自に伝承された「袋セリ」です。
非効率でありながら、手を握る両者にしか交渉価格がわからないシークレットなセリをするのは、ふぐを手に入れたいがための競り合いで価格が荒れ、収集がつかなくなる状況を避けるためです。
ふぐという特質な魚を取り扱うふぐ市場の流通を安定させるため、閉ざされた黒い袋の中で日々駆け引きが行われているのです。

袋セリというセリ方法をみると、市場の「生産者と消費者の橋渡し」という役割を強く感じます。
下関が守ってきた「袋セリ」という伝統に、消費者の生活の安定という市場の根本と、市場を守る人々の魂を伺い知ることができます。

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