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鯛料理

白身魚である鯛は、良質なたんぱく質が豊富で脂肪分が少なく、ビタミンB1を含んだ消化に優れた食材です。上品な甘みが好まれ、どのような味付けとも相性が良いので多くのメニューが存在します。
あますことなく使える魚であることも魅力のひとつで、皮をパリッと焼き上げれば香ばしく、ねっとり甘みのある身は刺身や湯引き、焼いても煮てもふっくらと、食感の変化や独自の旨味でさまざまな味覚を感じることができます。
また、アラや骨からは、旨味がぎゅっと凝縮した風味豊かな出汁が取れるので、鯛は丸ごと美味しい魚と言えるでしょう。
鯛の産地では、ご当地の鯛を使ったこだわりの逸品や絶品料理を目当てにした観光客で賑わいを見せています。
全国の郷土料理や駅弁を辿ってみると、鯛は工夫を凝らした調理法がたくさん存在しており、定番の味から驚きの味まで、様々な鯛の美味しさに出会うことができます。
また鯛食の歴史は古く、日本人にとって馴染み深い魚だと窺い知ることができます。
狩猟してすぐの鯛を生で食べていた原始的な時代から、技術進歩した現代まで、鯛の食べ方はどう変わってきたのでしょうか。
時代ごとに変わる鯛の価値や、保存方法、地域の味付けの違いなど、鯛と人々の関わりを時代の流れと共に見ていきましょう。
あれもこれも食べてみタイ!と言わずにはいられない、鯛の美味しさを様々な形で仕上げた名産品と料理の数々の扉を開きます。

鯛料理の歴史

鯛料理の歴史

日本で「魚の王様」と謳われている鯛は、古くから日本人の生活と密に関わってきた代表的な魚です。
鯛は家庭料理としてだけではなく、晴れの日の吉日の象徴として、婚礼や祝祭、神事にも用いられています。
さらに歴史の中では、時の権力者へ献上されてきた重要な交易の一品という役割も持っています。

鯛の食文化は、長い歴史の中で大きく変化することなく愛され続けています。鯛は私たちの心を離さない不変的な美味しさをもっているのでしょう。
時代と共に歩んできた鯛料理の道のりをご紹介します。

原始から近世まで、鯛料理の移り変わり

人間が魚を食べていたという記録は、1万年以上も前の貝塚に残されています。
縄文時代(12000年頃前~2500年前)や弥生時代(紀元前5世紀~3世紀半ば)の遺跡からは、マダイ、クロダイ、ヘダイなどのタイ科の魚骨が出土しています。
最も原始的な食べ方は生食ですが、鯛の骨が出土した遺跡からは、食物を焼いたり煮炊きした形跡も残っており、原始人に火を使った調理が普及していった様子が想像できます。

日本人は、主に魚と穀類を食べ生活をしてきました。
飛鳥・奈良時代に発布された肉食禁止令(675年)は、和食の発展のきっかけともいえる出来事です。
約1,200年もの間、日本は魚介類や大豆などをメインとする食文化が続きます。
この頃の魚の加工は干物や発酵食品が主になってきますが、それだけでなく、奈良県にある藤原宮跡(飛鳥時代)から発見された真鯛の骨に包丁をあてた跡がみられることから、鯛の骨を使って出汁をとっていたことが推測されています。
大型な魚である鯛は貴重なたんぱく源として、また「うまみ」の先駆者として人々の食生活を支えてきたのです。

平安時代(794年~1185年)に入ると、真鯛は祝い事や贈答品として使用されるようになります。
古代の朝廷や文化の中心地は、海から離れた内陸部にあることが多く、現代のように鮮度を維持できる便利な物流もなかったため、海辺の諸国から献上される海産物には日持ちがするように加工がされていることが多かったようです。

平安時代の『延喜式』には、和泉、伊勢、志摩、三河、若狭、丹後、紀伊、讃岐、筑前、肥後の10カ国が、朝廷へ鯛を貢いだ記録が残っています。
他との差別化を鯛の美味しさをもって伝えようと、背開きの塩干しや丸干し、薄く裂いた乾し肉や、一夜干しやなれ寿司、塩辛や魚醤油など工夫をこらした加工を施し献上していました。
鯛は、比較的傷みにくく、干物や塩漬けにしても味が損なわれにくい保存に向く海産物でした。このような戦略から、鮮魚に太刀打ちできる鯛の加工品が生まれていったのでしょう。

鎌倉時代(1185年~1333年)に入ると、婚礼や祝いの膳において鯛で華を添えるようになります。縁起物の鯛の姿は多くの日本人に愛でられ、姿形を楽しみながら賞味する習慣が定着していきました。
鯛の姿は、ヒレに強固なトゲがあり、硬いウロコに守られており、見た目にも堂々としていて立派です。
その姿が、鎧兜を着た逞しい武士のようだと、武家社会に好まれたのも鯛が長年重用されてきた理由のひとつに挙げられます。

室町時代(1336年~1573年)後半、茶人である千利休によって一汁三菜の和食のスタイルが確立します。
旬の食材にこだわりを持つ、日本の美意識と和食の楽しみが込められた懐石料理の献立が思案されていきました。

江戸時代(1603年~1868年)に入ると、醤油や砂糖、みりんや鰹節などの調味料が登場し、味の幅が広がります。
都市化した江戸では、富裕層の間で料理本が流行しました。
江戸時代の大飢饉はよく知られていますが、庶民の粗食に相反して、寛永20年(1643年)頃に記された江戸時代の料理書「料理物語」には、浜焼き、杉焼き、蒲鉾、なます、霜ふり(湯引) 、葛鯛、汁、田楽、酒浸、寿司、鯛わたや鯛子はなし物(塩辛)によい、などと多くの鯛料理が記されています。

また、1785年出版の「鯛百珍料理秘密箱」には、上下2巻にわたり103種類もの鯛料理が記載されています。
江戸時代後期の狂歌師である石川雅望が記した鯛亭記「鯛は魚の王なり」のひとことは、今なお鯛を王の座に据えています。

多様な鯛料理

明治維新により神仏分離令が制定し、神社の祭式が全国統一されたことは、鯛の価値をより強く定着することになります。
祭式に準ずる決め事のひとつ「神饌(供え物)」の品目に鯛が入ったことで、庶民の間にも鯛は祝い魚として意識されていったのです。
残念ながら鯛の漁獲量は次第に減少し始め、一般家庭で口にすることも徐々に減り始めました。

しかし、西日本に集中している鯛の漁場では、ご当地ならではの愛される名物料理が食べられ続けていました。
明治の俳人である正岡子規は、故郷松山の名産である鯛料理を絶賛していたことで知られています。

実は、西日本と東日本を比較して見ると、薄味志向の西日本の方が鯛の消費量が多く、その差は歴然としています。
シンプルな調理で美味しく食べられる鯛は、刺身、塩蒸し、酒蒸し、かぶと蒸し、塩蒸し焼き、かぶと煮、塩煮、ちり鍋、吸い物、釜飯、茶漬け、押し寿司、鯛味噌、茶飯、といった多くの献立が存在しています。

その中でも、各地に受け継がれている鯛料理は、少しずつ味の違いを楽しみながら地域の個性を潤しています。
鯛めしを例に見ると、鯛と米の組み合わせに限りはありません。兵庫県の鯛めしは尾頭付きの鯛が乗った土鍋の炊き込み飯なのに対し、愛媛県の鯛めしは鯛の刺身をタレに絡め、生卵と一緒に食べる豪快な丼ぶりスタイルのものがあります。
また大分県の鯛麺は県の郷土料理とはいえ、地域によって食べる手順や麺が同じではありません。
このように、地域や家庭で受け継がれた形が異なりながらも、愛される鯛料理は次の世代へと受け継がれています。

旨味があり味にクセのない白身の鯛は、どのような調理法とも相性がよく、世界中で愛され口にされています。
世界中の料理が食べられる現代、中華のごま油やフレンチの白ワイン、イタリアンのトマトやタイのナンプラーなどとも相性のよい鯛料理の数々を楽しむことができるようになりました。
これから先、時代に合わせて新しい鯛料理が生まれる可能性もあるでしょう。

ご当地逸品「鯛の名産品ラインナップ」

ご当地逸品「鯛の名産品ラインナップ」

日本全国で鯛を使った逸品を調査していくと、鯛の漁獲量の多い東海地方から西日本を中心に、独創的で美味しそうな鯛の名産品が見つかります。
ご当地で有名な鯛を主役にした水産加工品と、鉄道旅の醍醐味である駅弁の二つの視点から鯛の名産品をラインナップしてみました。
色々な調理法で鯛の美味しさを引き出した、個性豊かな名産品を見ていきましょう。

古今東西、鯛を使った水産加工品

低脂肪で高タンパクの鯛は、うまみ成分のイノシン酸を多く含む美味しい白身魚です。
癖のない魚なのでシンプルな調理で十分美味しく食べることができるのですが、意図して濃い味付けで加工されるものがあります。

目的のひとつは、長期保存を可能にするためです。漁獲量の多い時期に生で消費しきれない魚を有効利用するために、加工技術が開発されました。
また、強めの味を付けて加工することで、独自色を出せることも目的と言えるでしょう。
古今東西鯛の人気は全国区で、地場で獲れた鯛を用いた様々な水産加工品が登場しています。
北から南まで代表的な鯛の水産加工品をピックアップしました。どれも鯛の美味しさを活かした逸品揃いです。

鯛みそ(宮城県)

茹でた鯛の身をそぼろにし、仙台味噌と和えて長時間熟成して作られる、ご飯のお供です。
発祥は文政の末(1830年頃)、仙台は鯛の宝庫と呼ばれていたころです。
現在のように冷蔵設備がない当時、仙台近海で鯛豊漁の年が続き、鯛の保存に頭を悩ませていたところ、仙台の水産物問屋が集まる肴町に住んでいた梅村惣五郎という人物が、カツオ味噌にヒントを得たのがきっかけです。
同様な作り方で鯛と味噌を合わせたところ、風味もよく保存もきくと評判に評判を呼び、今や仙台名産品となりました。
辛口の赤味噌と砂糖で甘辛く練り上げたコクのある風味が、ご飯やおにぎりの具材にぴったりの逸品です。

小鯛ささ漬け(福井県)

小さなレンコ鯛を新鮮なうちに三枚におろし、塩と米酢で漬け込んだ、シンプルでいてごまかしのきかない逸品です。
変わらない味を守るため、季節や鯛の状態に合わせて調味の加減がされ、絶妙な職人の感覚が美味しさを受け継いでいます。

小さな杉樽に小鯛を隙間なく詰め込み、笹の葉を載せて浸けてあります。
笹の葉には抗菌作用があり、杉樽の香りはささ浸けの調味料のひとつとなっています。
食べる時に丁度良い塩梅に漬け込まれ仕上がったささ漬けは、そのまま食べても美味しく、わさび醤油を付けてお刺身風に食べたり、お茶漬けやてまり寿司に仕上げたりと、創意工夫して食べられています。

始まりは桃山時代(1573年~1603年)に遡り、若狭藩主京極高次が、日本海で育った連子鯛のささ漬けを各藩への進物として贈り、その味の素晴らしさに好評を博し、今に続いている由緒古き名産品です。
現在の製造方法は、明治初期に若狭小浜の池田喜助氏によって完成されたと言われています。

鯛の浜焼き(岡山県)

岡山県笠岡市では、4月に入り桜鯛が獲れる頃、春の風物詩の鯛の浜焼きが作られます。
岡山は塩づくりの発祥の地で、塩づくりに適した環境にある地域です。
祝い事の贈答品として人気のある縁起の良い桜鯛の塩蒸しは、桜鯛を藁に包んで蒸して作られています。

「桜鯛」とは、産卵期の3月~6月にかけて体色が美しい桜色に変わることからそう呼ばれるようになった、栄養を蓄え脂ののった旬の天然真鯛のことです。
桜鯛の塩蒸しは、鯛の鱗は剥がさずに内臓を取り除き、菰(こも)と呼ばれる稲わらを手で編んだものでひとつひとつ丁寧に包みます。それを塩が敷き詰められた塩竃(しおがま)で蒸して作られます。
菰で包むことで、染み込む塩気が丁度よく、桜鯛の旨味を最大限に引き立てる塩加減になるそうです。

笠岡名物「鯛の浜焼き」は、出荷時に伝八笠(でんぱちがさ)で包み梱包するという特徴があります。
これは、塩田に従事した浜子たちが自分で蒸した桜鯛を笠に包んで持ち帰った包み方に由来しているそうです。
鯛の浜焼きは、身をほぐしてしょうが醤油で食べるのが一般的ですが、ワサビやマヨネーズとも相性がよく、お茶漬けの具にしても秀逸です。

鯛わた塩辛(広島県)

日本全国で最初の国定公園に指定された広島県の鞆の浦は、江戸時代(1603年~1868年)から鯛の名漁場として有名です。
鯛わた塩辛は、丁寧に不純物を取り除いた鯛の腸に真子と白子を合わせて、砂糖や酒などの調味料を加え、塩漬けにし発酵熟成させて作られます。
素材に合わせて、微妙に味付けや熟成期間を調整させる伝統の技術により、芳醇な旨味が醸し出す塩辛に仕上がります。
ごはんのお供としてはもちろん、酒肴やお料理の隠し味としても優秀な一品です。

鯛ちくわ(徳島県)

徳島県小松島は、源平合戦のひとつ屋島の戦いの前日に、源義経が上陸した地として知られる町です。
小松島の漁夫たちが青竹に小魚のすり身を巻きつけ火で炙っていたところ、香りに引き寄せられてやってきた源義経が、その美味なる味わいを賞賛したと言い伝えられています。
それ以来、小松島では天然の竹を用いて、イトヨリダイなどのすり身を巻きつけて焼き上げた竹ちくわが名産品となりました。

鯛の竹ちくわは、鯛のすり身を青竹に巻き付けて焼いてあり、竹を持ってかじるように食べます。徳島名物のスダチの果汁をかけるとなお美味しくいただけます。
竹の爽やかな香りと、ちくわのプリッとした食感がたまらない逸品です。

鯛を用いた駅弁シリーズ

駅弁は1885(明治18)に、おにぎりとたくあんというシンプルなスタイルで販売されたのが始まりで、137年の歴史を刻んでいます。
各地の特産品を生かし工夫を凝らした駅弁は、強い郷土愛とクオリティの高い味といった、個性豊かな魅力に溢れています。
日本全国幅広く獲れる鯛は、地域ごとに鯛をメインとしたご当地の駅弁が沿線に並び、どれも美味しく人気があります。
ここでは鯛を使った駅弁の代表選手「鯛めし」と「鯛寿司」の二つに絞ってピックアップしてみました。

「元祖鯛めし」静岡県静岡駅

元祖鯛めしは、明治22年静岡の鉄道開通と同時に鉄道内の立ち売り業として開業した加藤辨當(べんとう)店(現・東海軒)が、明治30年(1897年)に販売開始した歴史ある駅弁です。
商品誕生のきっかけは、静岡大火で全焼となった加藤辨當店の主人のもとへ魚屋が届けた甘鯛の見舞いの品でした。
煮崩れして販売できない甘鯛をそぼろ状に崩し、ご飯にかけて食べたところ、子どもにとても好評だったことで生まれた弁当です。

蓋を開けると、醤油を入れて炊いた桜飯の上に鯛のおぼろがふんだんにまぶされて、小さな経木折いっぱいに詰められています。
100年を超える歴史をもち、昔も今も変わらないシンプルな駅弁で、アマダイの煮崩れしやすい欠点を長所に変えた名品です。
モチモチとした弾力のある食感と、甘めのおぼろが互いに引き立て合い、今も伝統の味わいを販売し続けています。

「鯛の舞」福井県敦賀駅

日本海若狭湾の小鯛を使ったお寿司です。デリカテッセン・トレードショー主催のお弁当・お惣菜大賞2020で最優秀賞を受賞しています。
この駅弁を作っている塩荘(しおそう)は120年近くの駅弁製造販売の歴史をもつ老舗の会社です。

鯛の舞は、敦賀の想い出の味を詰めた地場産を使用している駅弁です。使用する米は福井県産の華越前とコシヒカリをブレンドし、塩荘敷地内の地下水で炊くこだわりの炊飯です。
ざらめを使用した酢飯には、ほのかな甘みと奥深い味わいがあります。
メインの鯛は、鮮度のよい蓮子鯛を用い、三枚におろしたものを酢と塩のみで薄塩にしめてあります。
地元の職人によって手作りされた香りのよい木箱に甘い酢飯と酢〆した小鯛が綺麗に詰められた押し寿司は、とても高級感のある品の良い駅弁です。

「小鯛雀寿司」和歌山県和歌山駅

小鯛寿司の発祥は歴史が古く、源平時代に平維盛(たいらのこれもり)が有田の奥城山にこもった際、振る舞った兵食が始まりと言われています。
元々は、背開きにした小鯛の腹にシャリを詰めた保存用の食糧で、その形状がふくら雀に似ていたことから「雀寿司」と呼ばれた大阪寿司です。

紀淡海峡でとれた小鯛本来の甘みと旨味が生かされ、秘伝の合わせ酢の味加減、塩加減が絶妙だとか。醤油を使わず、そのままの塩味でいただくのが流儀のようです。
古くから和歌山県に伝わる郷土料理である絶品の小鯛雀寿しを、1世紀以上も前に駅弁として発売し、今日に至ります。
現在は、三枚におろした尾付きの小鯛で酢飯を抱えるように握ってあるものや、切り身を使ったものなど、ニーズに合わせて種類が増えています。

「鯛めし弁当」愛媛県今治駅

四国北部の瀬戸内海沿いを走る予讃線の今治駅で販売されている駅弁です。
愛媛県の郷土料理である鯛めしは、南予地方の刺身と卵黄の乗った丼と、東予地方の炊き込み式の二種類があります。こちらの駅弁は、鯛のほぐしの入った炊込みご飯で、ふんわりと優しい鯛の風味を楽しめるものです。
来島海峡で獲れた鯛を焼いてほぐし、しっとりとした炊き込み飯にしてあります。

数ある鯛めしの中で他と異なる特徴は、甘みのある味付けではない点です。
来島鯛の身、骨、アラの出汁がご飯と渾然一体となっており、鯛そのものの風味を主張した薄味のご飯です。
来島海峡の急流にもまれた鯛を楽しめるこの駅弁は、ネット販売で取り寄せることもできます。

魚の王様、鯛料理の魅力

魚の王様、鯛料理の魅力

現在、鯛の漁獲量は年々減少傾向にあるとはいえ、日本の鯛の漁場では高品質な鯛が水揚げされています。
高級魚の鯛は食卓を盛り上げ、「眼で見て食べても美味しい魚」と言わせる存在感があります。

日本の近海で獲れる大型の魚である鯛は、貴重なたんぱく源として1万年以上も前から日本人の生活を支えてきました。
また、立派な容姿は神々しく、縁起物として神社や神棚に供える神饌のひとつとなったことで、祝い魚としての地位は不動のものとなりました。

鯛の身は、美しい半透明の白さをもち、生臭みがなく、鯛特有の芳香と極上の旨味があります。
鯛の適度な弾力ある身は、噛んでいて歯触りがよく、蒸しても焼いても煮てもその美味しさは損なわれません。
魚の王様と謳われる鯛は、料理方法を選ばず、見た目にも立派で、余すことなく美味しくいただける魚なのです。

「腐っても鯛」ということわざがありますが、鯛はどちらかと言えば腐りにくい魚で、保存のための加工がされても味の変化が良い方に働く海産物です。
鯛の魅力を多彩な料理で提供し、地元の方はもちろんのこと、観光客を虜にさせる名物料理は数知れません。
各地で生まれた鯛料理や加工品には類似した商品が多く見られますが、それぞれ独自性を持つ工夫を凝らした異なるテイストで、似て非なる商品だと気付けたことは大きな幸せの発見でした。

旅の楽しみであるご当地グルメに、鯛に携わってきた人々の愛と美味しい知恵が結集した味に感動し、また食べタイ!と言わずにはいられないでしょう。
古人が感動した味が今なお受け継がれ、私たちに不変の旨さを楽しませてくれているのです。
さらに、世界の調味料との出会いによって、鯛料理は、伝統を大切にしながらも新しいおいしさを追求し、これからも日本人の心を鷲掴みにして色褪せることなく魅了し続けていくこと間違いありません。

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