おめで鯛「鯛にまつわる祭事と伝承」
私たちには「鯛は縁起がよい魚」という認識が根付いています。
喜ばしさを表す「めでたい」を「めで鯛」とかけて、鯛という魚に吉事のイメージをもっているからです。
名前にちなんだシャレもさることながら、江戸時代(1603年~1868年)に入ると鯛の体の一部が縁起グッズとして人気を呼びます。
実は、鯛の体内には「鯛の鯛」と呼ばれる、鯛の形をした骨(胸びれの根元部分)があります。
この骨を持ち歩けば厄除けのお守りになるなどと江戸での人気が高まり、縁起物としての鯛の地位は確固たるものとなりました。
鯛の中でも、輝く赤色のウロコをもつ真鯛は、見た目にも色鮮やかで縁起のよい体色と言われています。赤は魔除けになり、神聖な色とされているからです。
加えて、硬いウロコは甲冑に身を包んだ勇ましい武士のようだと、時の権力者たちに好まれたようです。
このようないくつかの理由が重なり、鯛は日本人にとって縁起物の魚と認知されてきたのです。
季節の行事や人生の節目の祝祭を重んじる日本では、七五三、雛祭り、端午の節句、卒業祝い、入学祝い、就職祝い、結納、結婚式、長寿祝いなど、お祝いの席に鯛の料理や贈り物が準備される風習は、今も珍しくありません。
ところで、鯛は日本特有の魚ではなく、世界中で水揚げされていますが、これほどまでに鯛を重視する国は、世界でも日本だけではないでしょうか。
「八百万(やおよろずの)の神様」という言葉がありますが、古くから日本では、この世には自然界から道具などの物に至るまで、神様が宿っていると思考を持っています。
日本中に数多く残る、鯛に関する祭事や伝承をまとめてみました。
日本人と深い繋がりのある鯛との関係が見えてくるはずです。
鯛の祭り
昔から日本人は、日々の生活の中にあらゆるところに神が宿っているという思想のもと、山、草木、川、海、お米の一粒に至るまで、感謝の心をもって、自然からの恩恵を受けて生きてきました。
人々はまず、神に感謝の気持ちを込めて食事を献上し、神様へお祀りした食事のお下がりをいただくことで、神様と同じものを口にしてそのご利益を得ていたといいます。
鯛は、魔除けを意味する「赤色」の体色をもち、「めでたい」に通じる縁起物の魚ということもあり、ご神饌に相応しい魚として用いられてきました。
今も昔も日本人が鯛をこよなく愛し大切にしてきたことは、各地のお祭りに色濃く表れています。
例えば、神社へ奉納するために、毎年大量の鯛を調達し奉納する祭りや、海の安全と招福万来を祈願する祭りなど、日本全国様々な形で鯛が関わっている祭礼が執り行われています。
脈々と受け継がれてきた祭礼から、興味深い鯛との関わりが伺える祭礼を一部ご紹介します。
鯛と祭礼
鯛と共に生活してきた地域で催されている祭りがあります。
古い歴史をもつ祭礼から、近年新しく地域活性化のために始まったお祭りまで、日本全国で鯛にまつわるどのような祭礼が執り行われているか見ていきましょう。
おんべ鯛奉納祭(愛知県知多郡南知多町篠島)
篠島で獲れた鯛を塩漬けにして三重県の伊勢神宮に奉納する、1000年以上の歴史を誇る祭礼です。
その昔、伊勢湾を旅していた天皇の一行が篠島へ立ち寄った際に、この地で獲れる鯛をとても気に入られた倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が、この地を伊勢神宮へ奉納する御贄所(伊勢神宮に食べ物を奉納するよう指示された場所)に定められたことで奉納が始まりました。
篠島の中手島調整所では、毎年奉納に合わせて508枚の真鯛の奉製作業をし、鎌倉時代からの伝統を繋いでいます。
篠島で水揚げされた鯛は、伊勢神宮から贈られた包丁を用い、伊勢神宮から贈られた白装束を身にまとった男達によって、古くからの神聖な作法で干鯛に加工されます。
伊勢神宮の三節祭が行われる6月、10月、12月に奉納する鯛は、サイズや数量が細かに決められており、特に10月の伊勢神宮の神嘗祭(かんなめさい)は、「太一御用船」(太一とは天照大神のこと)で御幣鯛を奉納されます。
「太一御用」の幟をひらめかせた漁船が天照大神へのお遣い事を誇らし気に出港していく風景は圧巻です。
おんべ鯛奉納祭は昭和3年に一度途絶えてしまったのですが、平成10年に復活されました。
篠島では子供たちが山車船を引き、もち投げや御用船見送りなどのイベントが行われます。
1032年の文書や1191年「皇大神宮年中行事」の中に、神饌として干鯛の名が記されていますが、実は起源が明らかでないほど深い歴史がある祭礼です。
豊浜の鯛祭り(愛知県豊浜港)
愛知県豊浜は、中洲、東部、鳥居、半月、中村と呼ばれる五地区で構成されており、豊浜の豊漁と海の安全を祈る男たちの祭りが、毎年7月に開催されています。
明治7年、中洲地区にある400年以上の歴史をもつ中洲神社の祭礼に、「お舟」と呼ばれる山車が作られたことがこの祭りの発祥だそうです。
明治に入り、祭りを賑やかにする目的でハツカネズミの張子の山車が誕生すると、明治30年頃に近辺の海で獲れる魚をモチーフにした張子が登場し始めました。
昭和に入り、イセエビやクジラの張子が登場したのち、真鯛の山車が定着しました。
祭礼に使われる「鯛」の張子は、この五地区それぞれで作出されています。
重さ1tにもなる巨大な鯛の山車は、10~18mの竹と木材を組み合わせた後、白木綿を巻いて作り上げます。
この巨大な鯛の山車は、豊浜の町や海を練り歩き、大勢の人々にかつがれながら陸から海中に入ると、本物の鯛が泳ぐが如く上下左右へと動かされ、担ぎ手たちの技が見事な荒神輿を見物できます。
鯛の中には、笛、太鼓、三味線などのおはやし隊が乗っていますが、陸から海へ入ると中は大層揺れるそうなので、中の骨組みにつかまりながら、片手で太鼓を叩き、バランスをとりながら笛を吹いているそうです。
今や「天下の奇祭」と呼ばれ、勇壮で美しい光景を見てみたいと、国内外から注目を集める楽しい祭りとなっています。
加太の桜鯛祭りと紅葉鯛祭り(和歌山県加太観光協会)
加太春日神社では、元々鯛の供養にと「鯛寒祭」を行い、鯛の稚魚を放流していました。
2009年に地域起こしの一環として祭事の名を改め、3月上旬に桜鯛祭りを、11月上旬に紅葉鯛祭を行うようになりました。
祭りは、加太で漁獲された鯛の特別販売会や、鯛の稚魚の放流イベント、鯛めしや鯛ラーメンなど、鯛づくしの魅力を味わえるイベントとなっています。
加太では年間を通して真鯛が釣れ、友ケ島水道とその周辺の海域は真鯛の産卵場と越冬場になっています。
春は、産卵前に栄養分をしっかり蓄えた通称ノボリ鯛と呼ばれる美しい桜色の桜鯛が獲れ、秋は、瀬戸内海より来年の産卵のためにと栄養を蓄えながら太平洋へ下る紅葉したような色合いの紅葉鯛が漁獲されます。
和歌山県加太で獲れる真鯛は、紀淡海峡の速い潮流に身をもまれて育つことで身が適度に引き締まり、歯ごたえのある良質な天然真鯛として有名です。
加太漁協の漁場は、和歌山ならではの優良県産品推奨制度であるプレミア和歌山認定の「加太のマダイ」が水揚げされる漁場として知られています。
「加太のマダイ」は、魚に傷を付けない伝統的漁法の一本釣りによって天然真鯛を獲っており、そのこだわりには豊かな漁場を守る思いが込められているのです。
鯛供養弁天祭(千葉県妙蓮寺)
千葉県鴨川市は、日蓮宗開祖の日蓮聖人誕生の地として知られています。
地元で鯛は日蓮聖人の化身とされているため、殺生禁断で保護され、鯛漁は禁止されているほど神聖に扱われています。
大正末期、エビ網にかかって死んだ鯛を、妙蓮寺で供養したことが弁天祭の始まりとなりました。
毎年1月18日に、妙蓮寺に集まった信徒らと共に、鯛供養弁天祭が執り行われます。
祭礼当日は妙蓮寺で読経から始まり、恵比寿像と共に大弁天島沖で海の安全や家内安全を願い、船上で読経し、鯛を供養します。
内浦湾や小湊地域海域である鯛の浦タイ生息地の鯛は、人が餌をまくと水面近くに現れる珍しい習性があり、日本で唯一魚類における特別天然記念物に指定されています。
八坂神社祭礼 鯛ちょうちん祭り(千葉県八坂神社)
千葉県茂原市の八坂神社は、元禄2年(1689年)の創建で、ご祭神を須佐之男命とし、「天王様」の名で親しまれています。
天王様は、治水、農業、火難の神様として、祀られており、毎年7月最初の土日に「鯛ちょうちん祭り」が行われています。
昔は、祭礼に本物の鯛を供え、五穀豊穣を祈願ていたそうです。
明治時代(1868年~1912年)に入り鯛の不漁が続き、鯛の姿を薄く削いだ松の経木でかたどって提灯を作り、奉納するようになったとされています。
1970年、伝統文化を守るために「鯛ちょうちん保存会」が設立され、現在鯛ちょうちんは、茂原市の郷土民芸品として大切に扱われています。
鯛ちょうちん保存会のメンバーが、毎年700個の鯛ちょうちんを一年かけて手作りし、祭礼当日訪れた参拝者へ進呈されます。
この鯛ちょうちんは、玄関先へ吊るし、無病息災のご利益を願います。
おめで“鯛”席に鯛ありき
おめで“鯛”席には、鯛は欠かすことのできない魚だと言われていますが、どのような祝祭や信仰、風習と結びついてきたのでしょうか。
歴史を辿っていくと、古くは平安時代(794年~1185年)に、国家の基本法である律令に鯛は登場しています。
祭事や祝祭のための儀式に始まり、鯛が登場する風習は、各地方へ根づきながら今でも引き継がれています。
大衆魚ではなく格上の魚となったのはなぜか、鯛とご縁のある祭事や風習を見ながら、その結びつきを紐解いていきましょう。
鯛を片手にもっていらっしゃる福の神、恵比寿天についてもご紹介します。
儀礼と鯛のつながり
平安時代中期905年に成立した律令の施行細則をまとめた「延喜式(えんぎしき)」からは、鯛が祝祭や祝儀の席に用いられるようになった歴史が伺えます。
延喜式には、神様へのお供え物である神饌品目が細かに記してあり、祭事の神饌に用いられた海産物の中には、鯛の名が記載されています。
現在、神社で供えられる神饌は、調理しない生のままの生饌が多く、地域によって若干の違いはあるものの、「和稲、荒稲、酒、餅、海の魚、川の魚、野鳥、水鳥、海藻、野菜、果物、菓子、塩、水」が基本となっています。
海魚にはお供え物でも上等とされる鯛を尾頭付きで供えるのが一般的です。
日本の総氏神を祀る最も位の高いお宮である伊勢神宮を例にみると、神饌に用いる鯛は真鯛に限られているようです。
季節や祭りによって厳密に取り決められた方法で、生のまま、丸身の干物、切身の干物、と姿を変えた真鯛が供え続けられています。
身近な慶事では、婚礼や結納などの晴れの日の料理や祝の儀式に鯛が用いられる風習があります。
結納式の実施率が高い九州地方では、婚約が整うと新郎側が新婦側へ酒と鯛(必ず尾頭付き)を持参して挨拶へ伺います。「一世一代」にあやかって「一升」と「一鯛」を贈るしきたりです。
鯛は夫婦つがいで生息する魚なので、一生添い遂げるとの意味が込められています。
また香川県讃岐地方の婚礼では、宴席に郷土料理の「鯛そうめん」が登場します。
「鯛そうめん」は、鯛一尾を姿焼き(地域によっては姿煮)にしたものを素麺と一緒に大皿へ盛り付けた瀬戸内海沿岸に伝わる郷土料理です。
鯛もさることながら、素麺も幸せが長く続くとの縁起物で、「鯛麺」は「対面(たいめん)」にかけて「両家の対面を目出度く祝う」という意味が込められています。
大皿を船に見立てて大きく振りながら披露宴会場を練り歩く演出は華やかで、香川県ならではの特徴ある風景です。
正月や祝儀で目にする「掛け鯛」は、塩鯛を二尾一対として腹合わせにし、頭部か口からエラへ藁縄を通して結んだ飾り物です。
掛け鯛は六月朔日に下し、食べることで厄を払うと言われています。「掛鯛下す」は、陰暦の六月一日(晩夏)を指した俳句の季語になっています。
結び合わせた一対の魚は仏教に由来しており、双魚の文様は八吉祥文のひとつの縁起よいモチーフとして有名です。
仏教伝来時は決まった魚ではなかったものが、日本ならではの縁起物としてもっぱら鯛を使う「掛け鯛」へと定着していったそうです。
えびす様と鯛
私たちは日々の暮らしに豊かさを求め、信仰心を意識せずとも、生活の中で小さな願いを神様に祈ります。
福徳をもたらす神様「福神」の代表的なものに七福神があります。
恵比寿天・大黒天・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋尊の七神のうち、恵比寿天は唯一、日本がルーツの神様です。
恵比寿天の姿を思い浮かべてみましょう。平安時代の動きやすい狩衣に指貫の袴、風折烏帽子を着け、右手に釣り竿、左手に鯛を抱えています。
釣り好きで鯛を釣るのが得意な恵比寿天は、福をもたらす漁を司る神様です。
恵比寿天のシンボルとなっている鯛は「福」の象徴で、人々にめでたい鯛を福財として授けてくれるためのものだとか。
釣り竿にも意味があります。孔子の思想を集積した論語に「子釣して綱せず」とありますが、これは「一網打尽より一投」の深い教えです。
鎌倉時代ころから、えびす様は商売繁盛と大漁追福、五穀豊穣の福神となったと言われています。
鯛にまつわる神秘的な伝説
鯛にまつわる有名な言い伝えを二つ紹介しましょう。
ひとつは鎌倉時代の僧侶である日蓮の誕生にまつわる不思議な話です。
もうひとつは、浮き鯛という現象と神功皇后に関するエピソードです。
日蓮上人の化身となった鯛
承久4年(貞応元年・1222年)2月16日、現在の千葉県鴨川市小湊のとある漁村の貧しい漁師の家に、日蓮は誕生します。
不思議な誕生秘話をもつ日蓮は、後に比叡山や鎌倉などを巡って修行に励み、32歳で日蓮宗を開いた僧侶です。
日蓮が赤ん坊として産まれた瞬間、まるで日蓮の産湯のためと言わんばかりに庭先に清水が湧き出したと言われています。
また、浜辺には季節外れの青蓮華が咲きみだれ、海では大小無数の鯛が飛び跳ねたというのです。
今も枯れない誕生水と蓮華ヶ渕、妙の浦は日蓮誕生の三奇瑞と呼ばれ、全国から多くの参拝者たちが小湊へ訪れています。
真鯛が群泳する妙の浦は、日蓮上人誕生の聖地として古来殺生禁断の地とされています。
ここに生息する鯛は日本で唯一の特別天然記念物(魚類)に指定されており、漁獲を固く禁じられています。
日蓮が海に南無妙法蓮華経と唱えると、それが文字となって波の上に現れ、深海に生息しているはずの鯛が集まってきて、その文字を食べつくしたとの伝説があります。
通常深海に棲み群れをなさない真鯛ですが、この妙の浦に生息する鯛だけは、比較的浅瀬で群れをなして棲んでいます。
日蓮上人の化身と信じられてきた鯛は、天然魚ながら地元民から餌を供えられ、何百年も守られてきました。
鴨川の観光名所となっている小湊妙の浦の遊覧船に乗れば、船頭さんが船ばたを叩くと餌を求めて天然の鯛が群がってくる、大変珍しい光景が見られます。
浮き鯛と浮幣社
「能地の浮き鯛」と呼ばれる不思議な現象をご存知でしょうか。
広島県三原市付近の瀬戸内海では、昔から春になると鯛が海面を浮いて流れるという奇現象が見られることで有名です。
「日本書紀」(720年成立)によると、神功皇后が第14代仲哀天皇行幸先の待ち合わせの地である豊浦津(山口県下関)に向かう道中のことです。
三原市の能地は、1年のほとんどを海で過ごす「家船」と呼ばれる漁業と行商を生業とする漂流漁民の根拠地でした。この地に皇后が訪れた際の逸話です。
神功皇后は渟田門で船に乗り、食事をとっていると無数の鯛が寄ってきました。これは吉兆と喜んだ皇后が海へ酒を注ぐと、鯛が酒に酔ったかのようにぷかりぷかりと海面に浮かびだしたといいます。
おかげで大量の鯛を得ることができた家船は「聖王の賜うところの魚なり(優れた徳をもった聖主がお授けになった魚である)」と喜び、その鯛を皇后へ献上しました。
皇后は、五穀豊穣なこの地に「能地(のうじ)」の名を与えます。さらに海神への幣(神様に祈る時に捧げる供え物)を海に投じ、幣が打ち上げられた場所を「浮幣」と称して、浮幣社(現、浮鯛神社)を建てたのです。
また能地の家船には、日本中どこででも運上金(営業税)を出さずともよい漁労権の証「浮鯛抄(うきだいしょう)」という巻物を与えました。
神功皇后の前で神秘的な浮き鯛の現象が起こった事により恵みを受けた能地の伝説です。
現在、「浮き鯛現象」は、科学的になぜそのような現象が起こるか実証されています。
かつて能地堆と呼ばれた能地は、細長い砂州地形が海底に広がっていました。暗礁が深いところでは水深30mから立ち上がり、浅いてっぺん付近では水深5mほどしかない急崖です。
外海から瀬戸内海の入り組んだ地形へ海水が流れ込むと、潮流は勢いを増し、産卵のために瀬戸内へ入ってきた鯛は、押し流されるように急崖から海面へと急潮に吹き上げられます。
その勢いに、ウキブクロの調節が間に合わず、急激に膨らんだウキブクロのせいで、体が浮き上がり「浮き鯛」となってしまうのです。
その海域では春になると鯛が酔ったように浮かび上がっていたようですが、長い歳月と共に環境の変化から浮鯛現象はあまり起こらなくなっているそうです。
参考文献:日本伝承大鑑
幸せを祈る「鯛」に込められた願い
古くより日本人は、自然万物に神様が宿ると信じ、感謝しながら生活してきました。
各地に残る鯛にまつわる祭りや伝説からは、鯛と人間の深い関わりが見えてきます。
鯛は縁起がよい魚とされていますが、そこには願いや憧れが込められていることがわかりました。
鯛の季節を迎えることができた喜び、海の幸への感謝、立派な風貌への憧れは、長い歴史を経て縁起物のシンボルとなったのです。
また、大切に伝えられてきた祭礼や祝祭は、今も昔も大切な家族の幸せや土地の繁栄を願った「祈り」の儀式です。
祝事や祭式には、細部に昔から継がれてきた日本の心がちりばめられています。
当たり前に目にしてきた飾り、食事、奉納品の中に鯛を見つけたならば、きっとあなたは幸せを感じることでしょう。
なぜなら、誰かを優しく想う気持ちや、感謝や願いが「鯛」を用いて表されているのを知ったからです。
[2024-02-16作成/2024-10-11更新]
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