LINE Twitter Facebook pocket はてなブックマーク
エビ養殖業

現在、地球温暖化による海流の変化や乱獲などが原因で、一部の天然魚の漁獲量は減少傾向にあります。
海を相手にする漁業は、天候や海流など多くの条件に左右されやすく、魚介類はいつでも安定して供給できる食材とは言えません。
中でも日本の人気食材であるエビは、和・洋・中と様々なジャンルの料理で取り上げられ、国民一人当たりの消費量が世界的にも上位となる需要の高い海産物です。
天然の漁獲量が減り、養殖エビの存在なくしては成り立たなくなっているのが現実でしょう。
欲しい時に欲しい食材が手に入るように、限りある資源を枯渇させないようにと、水産の養殖事業は始まりました。
日本で唯一商業用に養殖されている甲殻類はといえば、クルマエビです。
初めてクルマエビの養殖が行われたのは明治時代(1868年~1912年)で、熊本県天草市にクルマエビの畜養池が作られました。
海で獲れたクルマエビを海岸の砂地の穴の中や海の竹簀の囲いの中で畜養するスタイルから始められた養殖への取り組みは、長い月日を要しながらクルマエビを育てる養殖技術を確立させていきました。
今や世界が注目する日本人が手がけたエビ養殖業の実態をのぞいてみましょう。
美味しいエビを安定供給するための養殖技術を確立させた功労者たちの研究にかける情熱と軌跡を辿ってみました。

エビに人生をかけた研究者たち

エビに人生をかけた研究者たち

エビのプリプリとした魅惑の食感と甘い旨味はどのような料理とも相性が良く、幅広いメニューに使用され食べられています。
しかし、天然エビの漁獲量は1950年代と比べると緩やかに上昇してはいるものの、世界中で需要のあるエビは、養殖エビの生産量がなければ、たちまち口にすることは難しくなってしまうのが現実です。
今でこそ当たり前のように養殖されたエビが流通し、多くのエビ料理が食べられています。これらのエビが養殖できるようになるまでには、エビの生態系を研究し尽力してきた先人の苦労は想像を絶するほどの長い道のりがあるのです。

かつて日本は1993年に、ひとり当たりのエビ消費量が世界一になったほど、日本人はエビをよく食べていました。
日本は、30万tを超える数量を輸入に頼っていたのです。
その後、外食が減ってきた2020年を見ると、日本が輸入した冷凍エビは15万tを切るほどとなり、かなり減少してきています。
とは言え、私たちが普段食べているエビの大多数は養殖エビに頼っているのです。
人々の求める美味しいエビの養殖技術を切り開き、商業生産の軌道に乗せるまで人生を捧げた2人の研究者を紹介します。
根気強く不屈の精神でエビの研究を続け、エビが気軽に食べられるようにと夢を見て走り続けた人たちの物語です。

「クルマエビの父」エビ養殖業の開拓者

クルマエビの養殖技術を開花させた第一人者は、エビ業界の中では知る人ぞ知る「クルマエビの父」と呼ばれる水産学者の藤永元作氏(1903年~1973年)です。
藤永氏は山口県萩町で生まれ、1933年に東京帝国大学農学部水産学科を卒業します。
その後、山口県下関市にあった日本水産の前身である共同漁業のに入社し、クルマエビの生態研究を進め、世界で初めてクルマエビの人工孵化と幼生の飼育に成功した人物です。

当時、味のよいクルマエビ種はよく食べられていましたが、その生態についての研究はあまり進んでいませんでした。
彼は「庶民に朝からエビを食べてもらおう」という熱意で、クルマエビの養殖へとつき進んでいきます。
年々漁獲量の減る資源の枯渇を懸念した藤永氏は、赴任したその年に、クルマエビの生態を解明させ、卵から稚エビを育てる人工孵化の道筋を作りました。

しかし、クルマエビが商業生産として軌道に乗るまでには、長い年月を必要としました。
戦争があったこともあり、研究に没頭できない社会情勢と、「種苗(しゅびょう)」と呼ばれる稚魚を人工孵化後、親へと育て上げる種苗生産技術の確立まで31年の歳月を要しました。
その間藤永氏は、戦後の1949年水産庁に招聘され調査研究部長として、米国、カナダ、ソ連などを相手に漁業交渉を担当する傍ら、自費で千葉県に研究室を構え、クルマエビの研究に尽力を尽くしました。

1963年に山口県秋穂(あいお)町にクルマエビの種苗生産会社、瀬戸内海水産開発(株)を設立し、廃棄された塩田に目をつけ、そこで世界で最初のクルマエビ養殖場を開設することになります。
このクルマエビの養殖場とは、親エビを人工的環境で産卵させ、孵化した稚エビへプランクトンを与えながら育て上げ、親エビへと育てていくものです。
クルマエビは他のエビ種と比べて格段にエサ代がかかるため、生産コストが桁違いにかかることが課題でした。
さらに人工飼料の開発にも長い時間が必要だったため、クルマエビ養殖が採算のとれる事業に確立されたのは1970年代に入ってからでした。
会社設立当初、採算を度外視した藤永氏の経営は収益をあげるには至らず、ようやく事業が成り立ち始めた1973年に藤永氏は他界しています。

藤永氏のことが書かれた本に1975年出版の「エビに憑かれて四拾年」という本があります。
後述する、藤永氏の弟子である廖一久氏も「エビというのは、どこか人間を翻弄するようなところがある。私も翻弄された一人でしょう。」と同様なコメントを残しており、エビの養殖技術を開花させ、確立するまでに何十年という歳月を費やし、人生をかけたことを表すひと言だと感じます。

藤永元作氏は、彼の夢である「魚類のなかではケタはずれに高いエビを、卵から成魚まで完全人工養殖して安く食膳に供しようということ」は見届けられないまま、この世を去ってしまいました。
クルマエビの生産コスト高という課題は現代においても続いており、需要に応える安定した供給は可能となりましたが、クルマエビは普段使いの食材というよりは、まだまだ特別な日向けの高級食材の位置づけにあります。

食費のかかるクルマエビ

種類の多いエビの中で、クルマエビに着目し半生を捧げた藤永氏ですが、クルマエビの大食漢という性質に悩まされました。
当時、クルマエビを1㎏育てあげるまでに、魚介類5.2㎏、配合飼料は4㎏必要でした。
しかも配合飼料は乾燥配合飼料のため、生餌に換算するとクルマエビ1㎏に対して13~14㎏以上は魚介類を与えている計算になります。

クルマエビの次に養殖業が軌道に乗ったブラック・タイガーと比較してみると、ブラック・タイガー1㎏に対して2㎏の配合飼料が標準とされています。
この値を見ても、クルマエビがいかに大食いかが分かるでしょう。
クルマエビは、食費のかかり具合が桁外れに高かったために、コストが見合わず商業生産の軌道に乗せるのに長い年月を要したのです。

「草蝦の父」ブラック・タイガー養殖の確立者

「ブラック・タイガー」の呼び名で知られるクルマエビ科に属する大型の海老は、正式和名ウシエビといい、房総半島以南に生息しています。
国内で天然のブラック・タイガーを食べられることはほとんどありません。

現在、世界各地で流通しているブラック・タイガーの人工繁殖実験を成功させたのは、台湾で「草蝦の父」と呼ばれる廖一久(リャオ・イーチュウ)氏(1936年生まれ)です。
廖一久氏は、藤永氏の弟子として研究を進め、藤永氏が秋穂に養殖会社を設立した頃、廖氏は水産養殖について東京大学で学んでおり、 博士号を取得しました。
修士論文のテーマは、クルマエビの食餌志向性の研究で、博士論文は摂餌生態の研究でした。
そして山口県秋穂の藤永氏のもとで研究を続け、1968年に台湾へ戻りブラック・タイガーの人工繁殖実験を成功させます。

1972年には人工飼料の開発にも成功し、翌年には眼柄処理(※下記参照)も着手します。
1977年には、人工飼料の商業生産がようやく軌道に乗り始め、1978年に日本の養殖生産量を超えていきました。
1980年代に入り、「眼柄処理」という産卵技術の成功をきっかけに、台湾でのブラック・タイガー養殖は、爆発的な急成長をみせます。
1986年には、台湾のブラック・タイガー生産量は約6万tにまで達しました。

ブラック・タイガー養殖の未来は明るいと思われた矢先、1988年にカニやエビなどの甲殻類に感染するウィルスが蔓延し、壊滅的な被害を受けてしまいます。
廖氏は、この危機を救おうと献策をしますが、政治的な利権が絡み危機を救うことが出来ませんでした。
台湾でのウィルス蔓延はその後改善することが叶わず、ブラック・タイガー養殖は、1990年代にタイが生産量の主導権を握り、2000年代にベトナムが筆頭となりました。

戦後、日本の復興へ尽力する学友に影響を受けた廖氏は、「自分も養殖で台湾の食卓を豊かにしたい」という想いから不屈の精神で養殖技術の研究を続けていきました。
日本での研究期間、対象の生き物だけでなく、環境から徹底的に研究するスタンスを叩きこまれ、エサや水質などエビの生育環境を研究した論文が評価され、博士号を取得しています。
そして藤永氏と同じく、高級食材であるエビを一般家庭に普及させるには、養殖産業の育成が必須だと尽力し、研究成果は特許などで囲い込みをせず、東南アジアなどの海外留学生へ惜しみなく養殖のノウハウを伝授していきました。
そのお陰で、帰国した学生や海外へ事業場を移した台湾養殖業者が担い手となり、東南アジアでエビ養殖業が普及したのです。

廖一久氏は1976年~1991年に台湾省水産試験所東港分所の所長を任され、後に台湾最北にある国立台湾海洋大学の終身教授になりました。
2012年には、グローバルアクアカルチャーアライアンスより「生涯功労賞」を、2014年には日本・台湾間の水産技術分野を通じた学術交流の促進に寄与されたとして「旭日中綬章」を、2019年には日本経済新聞社より「日経アジア賞」を授与されています。

エビ養殖業界の革命「眼柄処理」

眼柄処理とは、エビに卵を産ませるために眼柄を切断するものです。両眼のある状態で一回産卵させ、次に片眼を切り産卵させます。
なぜ眼柄を切除することより産卵を促せるかというと、エビの眼はモルフィン・インヒビット・ホルモンと呼ばれる産卵を抑制するホルモンを分泌するからです。

この技術は、1943年にフランスの研究者がテナガエビ類で実験に成功し、その後タヒチにあるフランス系水産会社が実践するに至っています。
しかし、廖氏をはじめ、眼柄切断により親エビが衰弱すること、自然の理や倫理的な面でこの技術に問題点があると指摘する人も少なくないようです。

参考文献:エビと日本人・エビと日本人Ⅱ(村井吉敬著)

急成長に群がったエビ養殖業者の過ち

急成長に群がったエビ養殖業者の過ち

エビ養殖事業の確立は、東南アジアの地域の貴重な収入源として各地に広がっていきました。
しかし1988年、カニやエビなどの甲殻類に感染するウィルスが蔓延し、壊滅的な被害を受けてしまいます。
養殖池で多量のエビを育てることにより、エビが病気に罹りやすくなってしまったり、養殖池を拡大するために現地の自然環境を破壊してしまったりと、多くの問題点が浮上し始めました。

そこで、目先の収入は向上しても、10年、20年後と長いスパンで先を見通した時、このままのスタイルでエビ養殖業を続けていくと取り返しがつかなくなると、各地で養殖スタイルの見直しが始まりました。
地球環境を大切にしながら、いかに自然と共存して生きていけるか、エビ養殖業改新の例を追ってみましょう。

壊滅的打撃を受けた台湾の養殖業

1988年、なぜ台湾のブラック・タイガーは、ウィルスの蔓延による危機的状況に陥ってしまったのか、振り返ってみましょう。

もともと廖一久氏は、台湾のブラック・タイガーの養殖業者は20~30もあれば十分と提言していましたが、実際は2,000もの養殖業者が存在していました。
目先の外貨が優先された養殖業者の中には、水温を上げ、早くエビを大きくしようという乱暴な動きも出ていたようです。
池で飼うエビの量がすし詰め状態となれば生育環境は悪化し、ついにウィルス蔓延という最悪のシナリオへ突入してしまったのです。

残念なことに、台湾政府が出したブラック・タイガーの対策予算は本当に必要なところへは流れず、何とか危機を救おうと献策していた廖一久氏ですが、悔しくも及ばなかったようです。
今日明日の利益に囚われず未来のことを考えて動くべきだと、この事例は私たちに教えてくれているのではないでしょうか。

水の汚染を改善したEMパワーの養殖

ウィルスによってエビが育たず死亡してしまうケースを受け、EMと呼ばれる善玉環境を作る微生物の力を活かしてエビを養殖している会社がタイにあります。
エビ養殖池へEMを投与することにより、安全なエビの養殖と自然破壊を止められるエビ養殖を可能としました。
EMとは、Effective(有用な)Microorganisms(微生物たち)の英文の頭文字から取った略称です。株式会社EM研究機構と関連会社が販売する微生物資材です。
EM菌という菌が存在する訳ではなく、微生物の集まり自体をEMと総称して呼んでいます。

養殖池の水は、エサと排泄物などが溜まって水が汚れるため、大量の水を入れ替えなくてはいけません。
その汚水を捨てることにより、養殖池周辺の水環境が汚染されることが問題視されていましたが、EMの浄化作用を活用し、砂ろ過装置との併用で100%の水リサイクルを実現させたのです。

参考文献:株式会社 EM生活

エビとマングローブの関係

熱帯や亜熱帯地域の河口付近に、満潮時海水が満ちる「潮間帯」と呼ばれる場所に生えている植物一帯をマングローブ林と呼びます。
ヤシやシダ植物も多く、塩水でも育つマングローブは、低めの樹木を中心に様々な形や性質をもった特徴的な植物が多く見受けられます。
カニ、エビ、魚などの水生生物や、水鳥たちが集まり、多くの生き物にとって複雑な生態系をもつ大切な場所となっています。
日本では奄美大島以南にしかマングローブ林はないため、実際に見たことがない人も多いことでしょう。

マングローブの樹種は、専門家によって見解が分かれていますが、30種~80種程度と言われています。
マングローブは、樹木が自ら体内塩分を排出させるために、空気中に気根(呼吸根)を出す特徴があり、気根がタコの足のように何本も広がっている支柱根(しちゅうこん)や、土の中からタケノコのように突き出た筍根(じゅんこん)など、一風変わった風貌をしています。
その入り組んだ形は、周辺に棲む生き物にとって絶好の隠れ家となり、天然の海の防波堤にもなっています。

稚エビが育つマングローブ

「マングローブなくしてエビなし」と言われるように、マングローブは稚エビが育つ言わば保育園のような場所なのです。
例えばクルマエビやブラック・タイガーの場合、海で卵が孵ると、およそ1ヶ月のプランクトン生活をし、稚エビに成長すると潮流に乗って海岸の浅瀬であるマングローブ林の汽水域(海水と淡水が交じり合う水域)へ移動し、そこで若者へと成長していきます。
マングローブは、親エビとして産卵のため沖合へ出ていくまでの間、エビが健やかに成長していくための必須の場所と言えます。

しかし、考えが及ばなかった人間によってマングローブ林は刈り取られ、そこにエビの養殖池が造成されました。
その結果、生き物の棲みかが失われただけでなく、津波の被害をも大きくしてしまいました。 マングローブ林の急速な減少に警笛が鳴っています。
環境破壊を懸念して、持続可能な養殖業の新しいスタイルを開拓していっている国も現れてきています。

エビ養殖業が担う責任

ASC(水産養殖管理協議会)とは、世界自然保護基金(WWF)とオランダの持続可能な貿易を推進する団体(IDH)の支援のもと、2010年に設立された国際的な非営利団体です。
ASCの責任ある養殖水産物のための認証やラベリング制度が、世界中の養殖業を誘導する存在となるべく取り組まれています。

ASCの認証は7原則を掲げ、各国の法律にも配慮しながら、自然生息地や生態系の保全、水資源の保全、適切な魚病管理など、包括的で透明性のある基準を設定しています。
ASCの基準を満たすことにより、海の自然に配慮した生態系の保全と、現地の方々の持続可能な生計を確立することができます。

粗放養殖

インドネシアでも、壊れゆくマングローブ林の保全を掲げ、地域住民が末永くその地で生活を送れるようにと、エビ養殖業の改善プロジェクトが始動しています。
2018年~2021年の予定で、インドネシアのスラウェシ島にて、養殖池を作るために失われた面積50%に相当するマングローブの再生を目標に植林し、保全に努めています。
ASCの基準を満たす持続可能な水準に達するよう、養殖の改善に尽力しています。

インドネシアで見直され広がった粗放養殖は、エコシュリンプと呼ばれる環境に配慮したエビの養殖スタイルです。
この方法は、実は新しい養殖スタイルではなく、200~300年続く伝統的な手法です。
マングローブ林付近などに自然とできた池を用いて、人工的なエサや薬品を使わずに周囲の環境や生態系と共存しながらエビを育てていきます。

自然に近い環境で、のびのびとエビを育てるため、ストレスもなく健康的に育ちます。
1ヘクタールあたりの収穫量は、集約型の養殖に比べて100分の1ほどと少ないですが、一時的な高収入で自然環境を破壊するより、末永く続けていける養殖スタイルが見直されています。

養殖の主となったバナメイ

養殖の主となったバナメイ

台湾でのブラック・タイガーの養殖がウィルスの猛威で停滞・下降傾向となりましたが、台湾で培ってきた養殖技術は、そのまま廃れることなく東南アジアから中南米に波及していきました。
技術者たちは中南米へ出向き、そこでバナメイという新たな養殖種に目をつけます。

バナメイは、中南米原産クルマエビ科の品種で、メキシコ西岸、グアテマラ、エルサルバドル、ニカラグア、コスタリカ、パナマなど、コーヒー豆の産地として有名な温暖な気候の国に棲息しています。
水深0~72㎝、水温25℃~32℃の暖かな海域に棲息し、中国・台湾名で「南美白對蝦」と呼ばれ、白っぽい脚をもっているためシロアシエビという別名を持つ中型のクルマエビ科のエビです。
加熱調理に向いており、加熱したときの赤みは薄いですが、甘みが強いのが特徴です。
ブラック・タイガーほどぷりっとした身の弾力はなく、最大でも23㎝ほどでそこまで大きくは育ちません。

しかし、ブラック・タイガーより病気への耐性が強いとされ、成長速度が早く、養殖向きの品種として養殖業者が注目している品種です。
バナメイはほぼ全量が養殖であり、世界中の養殖量統計を示すFAO(国連食糧農業機関)のデータによると、1990年に8.8万tだった養殖量は2005年には18倍の160万tに達しています。
2000年前半、養殖エビ種のトップ5は、バナメイ、ブラック・タイガー、テンジククルマエビ、大正エビ、クルマエビの順となっています。

未来へ繋げるエビ養殖業

未来へ繋げるエビ養殖業

水産資源は限りがあるので、もし養殖技術が開花していなかったら私たちの食卓はどうだったでしょうか。
2005年、エビの輸入量が23.5万tだったのに対し、国内生産量は2.5万tで、自給率の観点から見ると10%にも満たないのが現状です。
限られた国土の日本で、国内生産量が多いとみるか少ないとみるか、意見が分かれるところではありますが、国産エビの大半はサクラエビなど小型のエビと言われています。

クルマエビ養殖は、温暖な海域を好むクルマエビのために、発祥の地山口県をはじめ、沖縄県、鹿児島県、熊本県、長崎県で行われています。
変動はあるものの、2000年代に入って生産量1,500tを中心に推移しており、現在でも高級食材であるクルマエビは、贈答品や特別な日に食べる食材として愛されています。
「安く食卓に供する」という意味でみると、藤永氏の夢が100%と叶ったとは言えませんが、国内でクルマエビを食べたい時に食べられるようになったのは、他でもない藤永氏の努力の賜物だと感じます。

廖氏は、ブラック・タイガーに留まらず、オニテナガエビやボラなど水産に関わる研究を続け、それらの養殖技術を幅広くアジアの水産業者に伝授し、今では「アジアにおける水産養殖の父」と称えられています。

今後の課題として、エビの魅惑的な美味しさゆえ、急成長した養殖業者が先を見据えず起こした過ちを踏まえ、私たちは水産物の養殖環境を意識していかなくてはいけません。
ひとつの取り組みとして、国際規格をクリアしたASC認証マークがついた水産物を購入することで、消費者として未来の水産資源を維持していくことに参加できます。

エビ養殖業では、生産を続けながら「サステナブル(持続可能な)」社会を目指す人たちが登場し、限りある資源を大切にしながら未来へとエビ養殖業を、繋いでいける希望が生まれました。
美味しい養殖エビは、きれいな水と適切な環境下において、安全で大量のエサを食べて育ちます。
マングローブが失われてしまうと、生態系は崩れ、エビは育つ場所を失い、親エビも減少する悪循環は必然です。それだけでなく、自然災害の被害拡大も懸念されています。
技術の進歩のみならず地球環境への影響も考慮された、エビ養殖業の発展を願わずにはいられません。

LINE Twitter Facebook pocket はてなブックマーク
海鮮しゃぶしゃぶ屋全商品はこちら