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エビ消費大国「日本のエビ食文化」

寿司屋台

私たちの食事に当たり前のように登場するエビ。天ぷらや寿司をはじめ、和・洋・中を問わず、エビはどんなジャンルの料理にもレギュラー陣として登場します。
また、結婚式の祝い膳や、お正月のおせち料理に欠かすことのできない食材でもあり、日本人に親しみのある存在です。
日本の伝統文化が花開いた室町時代、家柄の良い武家の婚礼の席では、天然の伊勢海老が出されていました。
エビの長い髭と腰の曲がった姿は長寿の象徴であり、縁起がよいと好まれていたのです。
エビは、おめでたい場に相応しい立派な姿を称えるだけでなく、多くの日本人のお腹を満足させてきたエビ食文化の歴史はいつから始まったのでしょうか。
それは日本の中心都市として栄えた大江戸と呼ばれる大都市の誕生と共に訪れました。
なぜ日本人は長い間エビを食べ続けているのか、食文化として花開いていったエビに関わる歴史を追ってみました。
エビのグルメブームはどう起こったのか、日本ならではの献立や、日本人の生活がどう変わっていったのか、日本人とエビの歴史を順に辿っていきましょう。

江戸でムーブメントを起こしたエビ食

えび天蕎麦

現在、私たちがよく口にする「縁起物の食材」には、タイ・エビ・昆布・数の子・ブリ・アワビなどの海の幸や、よもぎ、レンコン、豆、タケノコ、ゴボウなどの山の幸など、それぞれに縁起を担ぐ「いわれ」を持つ食材が多種あります。

伊勢海老は縁起のよい食材としてポピュラーな存在で、伊勢神宮への奉納品としても有名です。
伊勢海老を覆うゴツゴツとした固い殻は武士の甲冑のように立派で、長い髭と腰の曲がった姿は風格のある翁を連想させるため、長寿の象徴として縁起がよいとされてきました。
貴重な品は「縁起物」として、時の権力者たちへ献上されるような、高価な食材だったようです。

エビ食が庶民の間に普及したのは、江戸時代に入ってからです。
江戸の街は交通手段が発達し、物資の流通が盛んになりました。国内国外からの人の行き来が多く、世界的な大都市となった江戸では、庶民の生活も安定していきました。
ここから長く食卓の人気を保つエビと私たちの、歴史や食文化が始まったようです。

エビ食は天ぷらから広まった

今でこそ日々の食事にエビを使った料理を並べられるようになりましたが、その昔、エビと言えば、大型の伊勢海老のことを指していました。
神社や宮中へ献上される品物だったエビは、庶民の日常の食卓へ上るような食材ではありませんでした。

一般的にエビを使用した料理が広まったのは、江戸時代(1603年~1868年)に入ってからと言われています。
その理由のひとつは、東京湾で芝エビが大量に獲れるようになったことが挙げられます。

芝エビは、芝浦辺で多く捕れたことから「芝海老」と呼ばれ、江戸の代表的なエビ天の素材として使用されていました。
江戸前の天ダネに使用されていた魚介類について、江戸時代後期の風俗・事物を説明した百科事典「守貞謾稿」にて「江戸の天麩羅は、あなご、芝ゑび、こはだ、貝の柱・・・」と、代表的な天ダネにエビも名を連ねています。

江戸の町に天ぷらの屋台が現れたのは1772年~1781年頃(安永年間)と言われています。
世界一の大都市であった江戸の町は、早くから外食文化が栄えており、多くの屋台が出ていました。
十八世紀の初めころには飲食店の数が7,603軒に達していた、との調査記録が残っています。

江戸時代の人気作家、山東京伝の描いた絵草紙「気替而戯作問答(きをかえてげさくもんどう)」の画の文中には、「てんぷらの味はひには早道(財布)の底をはたく」と記されています。
当時、揚げたての天ぷらを食せる屋台は大変人気で、蕎麦、蒲焼、寿司と並んで「江戸四大名物食」と謳われていきました。
江戸前名物の大きな芝エビは、2~3本一緒につまんでイカダのように並べて揚げる「つまみ揚げ」に、小さなものは小柱などと一緒にかき揚げにされていたようです。

天ぷらは初めおやつの領域でしたが、後に蕎麦のトッピングとして取り上げられ、天ぷら蕎麦のメニューが登場します。
芝エビの天ぷら蕎麦には、もり蕎麦の倍の値段がしていたそうですが、天ぷら蕎麦と言えば芝エビのかき揚げを指すくらい人気があったようです。
こうしてエビは、江戸を代表する天ぷらの素材として定着し、多くの江戸庶民のお腹を満たしていったのです。

江戸前握りの誕生、寿司ダネとしてのエビ

江戸の食の4大グルメのひとつ、握り寿司にもエビネタは頭角を現します。
江戸の町で寿司文化が発展した背景には、東京湾で獲れる新鮮な魚介の寿司ダネに恵まれたことと、白米が出回っていたからだと考えられています。
握り寿司は多くの江戸っ子を魅了し、握り寿司が登場した後は寿司屋の数が蕎麦屋を上回っていったそうです。

文献に残る江戸前寿司の話題を拾ってみましょう。
文政10年(1827年)に「妖術といふ身で握る鮓の飯」と寿司が登場する句が詠まれています。
妖術(忍術)つかいが、呪文を唱える手つきと握り寿司を握る時の手つきが似ているとユーモラスに例えられており、このことから江戸時代後期には握り寿司は食べられていたことが伺えます。

江戸時代後期の浮世絵師、一勇斎(歌川)国芳が描いた「松が鮓」の錦絵には、寿司人気を嘲笑的に表現したものがあります。
女性がエビの握り寿司の乗ったお皿を持ち、小さな子供がそのお皿を見上げている様子が描かれた錦絵には、幼子がねだるほど美味しい寿司、といった皮肉な狂歌が添えられています。
実は「松が鮓」は高級な鮨屋で、庶民の利用する屋台寿司とは違った格上グルメだったことが伺えます。

江戸時代後期の風俗・事物を説明した百科事典「守貞謾稿」には、「エビそぼろ(おぼろ)」と「車エビ」の寿司ダネについても書かれています。
車エビの寿司ダネは、塩ゆでした後酢漬けにしたものを握っていましたが、握り寿司以外にもちらし寿司が登場し、こちらにもエビはレギュラーの具材として用いられていました。

エビそぼろとは、下処理をした芝エビを茹でて丁寧にすり潰し、すり身に甘みを加えて煎りあげたふりかけのようなもので、当時の代表的な寿司ダネとなっていました。
今でも、江戸前の仕事をされている寿司店では、車エビを握る際にネタとシャリの間に芝エビのそぼろを仕込んで握り、昔ながらの味を楽しめるようです。

エビを使った日本料理

エビのつや煮

エビは、うま味成分たっぷりの高タンパクで脂肪分が少なく、甘みの強い食材です。
食べると健康に嬉しい効能があり、肝臓の働きを活発にするタウリンや、抗酸化作用や動脈硬化の予防となるビタミンEを含む栄養価の高い食材として積極的に食べられています。
海の幸として日本人の命を繋げてきたエビは、どのように調理されてきた歴史をもつのでしょうか。

全国には伝統的な和食に留まらず、今の時代に合わせた調理法の美味しいエビ料理も見つかります。
古典的な和食の献立や、地方で育まれた地場産食材とのコラボグルメなど数えきれないでしょう。
献立を目にするだけでお腹が空くこと間違いなしのエビ料理。あなたはどの料理に惹かれますか?

日本の四季を彩るエビ料理

和食はユネスコ無形文化財遺産にも登録された、日本文化の象徴と言える食文化です。
日本の風土に育まれてきた「自然の尊重」をベースとした料理は、見た目にも美しく、四季折々の山海の恵みを余すことなく料理に活かしています。

和食の食材としてのエビの役割に彩りがあります。エビは、種類にもよりますが加熱すると艶やかな赤色(緋色)になります。
緋色は日本人の魂の根源といわれる神聖な色で、伝統的にめでたい席には緋色を用いると縁起が良いとされています。
食材の持つ意味は色々ありますが、エビは結納や結婚式など祝宴の席には欠かすことのできない縁起物の食材として不動の人気を保っています。

また家庭料理においても、エビは季節ごとの旬の食材と組み合わせによって万能に登場し、一年を通して身近な食材として親しまれています。
和食は季節の旬の食材を用いますが、エビの旨味や香りは他の食材との相性もよく、その時々の季節をワンランク上げて楽しめます。
日本が世界に誇る和食には、四季を意識したエビ料理にどのような献立があるでしょうか。

作物が芽吹き始める春は、優しく華やかな献立がお目見えします。
ちらし寿司、えびと空豆のかき揚げ、筍とえびの炊合わせ、蕗の薹とえびの真丈、桜えびのかき揚げ、桜えびの炊き込みご飯といった料理から、一年のスタートに喜びを感じます。

太陽が照り付ける暑い夏は、涼しげな献立が好まれます。
夏野菜とえびのゼリー寄せ、茄子とえびの冷やし鉢、冬瓜とえびの葛煮、みょうがとえびのかき揚げ、夏野菜とえびの利久煮といった料理から、旬の野菜から身体に必要な栄養を取り入れ、夏を乗り越えるパワーを得られそうです。

収穫の秋は実を結ぶ食材が豊富で、食欲も高まります。
しいたけのえび真丈焼き、蕪のえびそぼろ煮、えびのれんこんはさみ揚げ、えびと銀杏の炊込みご飯といった料理から、ホクホクした温かい献立に季節を感じます。

冬はお正月のおせち料理に一匹姿のエビが多く使われます。
えびのつや煮、里芋とえびの煮しめ、えびの利久揚げ、伊勢海老の鬼柄焼、伊勢海老黄味煮、有頭車海老の塩焼きといった豪華で高級な献立で、願いの込められた食事を家族でいただくのです。

戦前戦後で変わったエビの消費量

エビピラフ

江戸時代に天ぷらや握り寿司が人気を博し、多くの江戸庶民がエビを食していたものの、地方では、噂の江戸グルメを食べるためには江戸を訪れる必要がありました。
昨今のように、ファミリーレストランや和・洋・中どのジャンルのお店へ入っても、エビを使ったメニューを容易に探せるようになったのは、戦後1961年エビの輸入自由化が始まってからです。

それまで、エビと言えば結婚式やお正月といった、大切な晴れの日に特別な食事として食べられてきました。
戦前と戦後で何が変わったのか、その答えは「冷蔵・冷凍技術の発展」と「エビ養殖技術の開花」の二つが挙げられます。
私たちの食卓にエビが当たり前のように並ぶようになった経緯を、紐解いていきましょう。

時代で見るエビ消費量の伸び

前章で江戸ではエビの天ぷらや握り寿司が人気だったと書きましたが、それは「江戸前」の文字通り、東京湾という地の産物に恵まれたにほかなりません。
冷蔵庫・冷凍庫がない時代、ましてや冷蔵・冷凍の輸送技術のない時代に、全国各地で新鮮な魚介類が食べられていた訳ではありませんでした。
冷蔵・輸送技術が発達する以前、エビは海の近くに住む人たちの地場商品であり、お正月や婚礼など、限られた機会に食べるぜいたく品でした。

国内のエビ生産が伸び始めたのは1950年以降で、漁業が発達して冷蔵・輸送技術の革新が急速に進んだ時期と一致します。
有頭海老の重量でみると、一人当たり年間食べるエビの量は、戦前で300g、エビの輸入自由化直前の1960年に700g、そして1986年には3㎏と戦前と戦後ではエビの消費量に10倍の伸びがみられます。

1970年以降、家庭用の冷蔵庫の普及率はほぼ100%となりました。冷凍と冷蔵の2ドアに移行され、大型化が進んでいきます。
1987年には電子レンジの普及率が50%を超えていき、美味しくて簡単便利な冷凍食品の需要がどんどん増えていきました。
そのような時代の流れを背景に、冷凍のエビフライやエビグラタン、エビピラフ、エビカツなど、エビを使った便利な冷凍食品は人気を高めていきます。

また、景気がよくなったことで、家庭内食が主流だった生活も外食をするゆとりがでてきます。
食の多様化による洋食や中華など和食以外の料理も定着し、エビの天ぷら、エビフライ、エビチリなど、ありとあらゆるジャンルの料理にエビは使われ、消費はうなぎ上りとなりました。

近年、日本のエビ消費量は常に上位20カ国にランクインするポジションに位置しています。
しかし1990年台のはじめ頃は、エビの1人当たりの年間消費量が世界のトップにいました。
時代ごとのエビ消費量に浮き沈みはあったものの、日本人は日常的にエビを好んで食べているのです。

都道府県別にエビ消費量をデータ化した「家計調査年報」によると、2006年にエビ消費量の多かった県庁所在地ベスト10は、富山、福岡、徳島、松山、津、金沢、和歌山、鳥取、北九州、佐賀の順となっており、西側のしかも日本海側が上位を占めるという少し面白い結果が出ました。
これは昔と同様、地場でエビの漁獲が豊富な地域は、馴染みのあるエビを口にする機会が当然多いということなのでしょう。

市場を変えた養殖エビと輸入エビ

エビの養殖技術の発展なしに、エビの話はできません。
エビの養殖技術を開花させたのは、エビ業界では知らない者がいないと言われている水産学者の藤永元作氏(1903~1973年)です。
藤永氏は、世界で初めてクルマエビの人工孵化に成功し、長い年月をかけてエビの養殖技術を発展させた「クルマエビの父」と呼ばれるエビ養殖業界の第一人者です。

それまでのエビ養殖は、海で天然の稚エビを捕獲して育てる「畜養」を行っていましたが、年々漁獲量の減る資源の枯渇を懸念した藤永氏は、卵から稚エビを育てる人工孵化の道筋を作っていきました。
藤永氏の夢は、「魚類のなかではケタはずれに高いエビを、卵から成魚まで完全人工養殖して安く食膳に供しようということ」でした。

長い歳月をかけてクルマエビの養殖技術は確立され、天然資源が枯渇する前段階で、需要に応える生産が可能となりました。
しかしクルマエビは他のエビと比べてとても大食らいで、格段に餌代がかかるため、現代においてもクルマエビは高級食材として料亭や寿司屋を中心に扱われており、藤永氏の「安く」という願いだけは実現に至っていません。

1960年に日米安保条約が改定、調印され、1961年にエビの輸入が自由化されます。
エビの輸入自由化の1961年~1980年代にかけて、日本のエビ事情は大きな変化を見せました。

1960年の頃、日本人が食べていたエビの98%は国内産でした。
日本は、エビを世界に向けて3,000t以上輸出する「エビ輸出国」から、1961年にはエビを4,000t以上輸入する「エビ輸入国」へ変化していきました。

高価なクルマエビから目線を変え、餌代のコストを抑えられて、なおかつ味のよいエビ種の養殖を実現させようと藤永氏の夢を引継ぎいだ人物がいます。藤永氏の弟子、廖一永氏です。
廖一永氏は1968年に台湾でブラック・タイガーの人工繁殖に成功し、ブラック・タイガー養殖の礎を築きました。

台湾のブラック・タイガーは、1980年代に劇的に生産量が増加し、1986年に「台湾のブラック・タイガー大爆発」と呼ばれる生産量の急上昇が起こりました。
ちょうど日本人が食べるエビの量の急上昇と重なり、87%を輸入エビに頼るほど国内のエビ事情は変化を見せました。

このようにエビが身近な食材となったのは、養殖技術の向上と輸入自由化による、市場の大きな変化があったからに他なりません。

エビ食文化を継承する日本人

おせちを食べる家族

長い歴史の中で、日本人の食卓に彩りを与える食材の一つであるエビは、もはや私たちの食卓になくてはならない存在と言っても過言ではありません。
「日本人はエビが大好き」と言われるほど、エビの輸入量と消費量は、世界各国と比較してみても常に上位にランクインしています。

その背景には、信仰深い日本ならではの縁起物という扱いでエビが好まれ、その姿から長寿の象徴としても珍重されてきたことが挙げられます。
正月をはじめ人生のあらゆる祝膳に登場するエビは、日本人の生活の節目に欠かせない存在となっています。

エビを身近な食材にしたのは江戸のグルメブームでした。
世界一の大都会となった江戸では新鮮なエビが多くとれ、庶民がエビを食べるようになってからは煮たり焼いたり蒸したり揚げたりそぼろにするなど、日常食としても様々な調理法で美味しく食べる献立が生まれました。

戦後は家電製品が普及したことにより、冷凍食品などの普及で爆発的にエビの消費量が増えました。
国内での生産量ではまかなえない分のエビを輸入することで、いつでもどこでも好きなだけエビを食べられるようになったのです。
それは1970年代からおよそ20年以上、日本はエビ輸入国の世界第一位に君臨していたほどでした。

近年、日本人のエビ消費傾向には、大きな変化が見受けられます。
現在、日本のエビ消費は家庭内から外食産業へ大きくシフトし、国内エビ消費量の6割は外食産業だと言われています。
忙しい現代人に、生エビの調理は少々ハードルが高くなってきているのかもしれませんし、天ぷらや寿司は外食という認識になっているようです。

また、輸入に頼る現状は危惧しなければならない問題のひとつでしょう。
国内のエビ養殖技術は脚光を浴びており、今後の量産に期待が高まっています。

エビはその魅力的な味と神秘的な象徴として、これからも日本人に欠かせない食材であり続けるでしょう。
美味しいエビにかける日本人思いは、国内の生産率を上げ、より手に取りやすい食材として、味わい深い食文化の歴史を紡いでいくのではないでしょうか。
未来にまた新たなエビの食文化が花開いていくに違いありません。

2024-02-16作成/2024-02-16更新]

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