美味しそうな料理に目を奪われる瞬間は、心の躍る幸せを感じます。
これから味わうその料理には、メインの食材と、主役を輝かせている名脇役たちが輝いています。
日本の料理は、素材そのものの味を生かす調理を特徴としており、なかでもシンプルながら格別の存在感をあらわす白身魚の王様、ふぐには「何」を添えるのか、その見極めはとても重要です。
「もみじおろし」は、上品で味わい深い旨味をもつふぐ料理には欠かせません。
もみじおろしとは、大根と唐辛子をすりおろした、辛みとまろやかな甘みのある薬味です。
食材の持ち味を引き立てる薬味を厳選することは、料理人の大切な仕事のひとつと言えます。
なぜなら、料理に添えられた薬味は驚くような味の組み合わせで、その美味しさを何倍にも膨らませる働きをするからです。
また、美味しくいただきながら秘かに人の身体を活性化させる薬ともなります。
薬味は文字通り「薬」と「味」の役割があるのです。
薬味に関する考え方を知ると、あなたの食生活を豊かにし、役立つこともあるでしょう。
そして普段、何気なく食事に取り入れられる薬味ですが、食べる相手を思いやる料理する人の心が込められていることに気づかされるでしょう。
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食材を引き立てる薬味の役割
和食の特徴として、旬の食材を活かした料理や、食材の味を最大限に引き出す料理、そして見た目の美しさや香りを大事にした料理などの魅力が挙げられます。
全日本調理師協会名誉会長であり、日本料理人の神田川俊郎氏の名言に、「花に水、人に愛、料理は心」という言葉があります。
食べる相手を思いやった作り方とは、料理人の魂とも呼べる「おもてなしの心」の上に存在します。
料理に添えられた薬味には、そのおもてなしの心がよく表れています。
それは薬味本来の役割を知るとよくわかります。
料理は愛情、そんな薬味の働きはいつ頃から始まったのでしょうか。
時代ごとに記録として残っている薬味について、その歴史を追ってみます。
薬味とは
薬味は料理にアクセントを加え食欲を増進させるだけでなく、食材の欠点を緩和する働きを含み、料理には欠かせない存在となっています。
薬味の「薬」と「味」は、別々の意味を持っており、「薬」は薬、毒消、滋養を表し、「味」は味、旨味、食欲を起こすなどの意味をもっています。
例えば、古くから蕎麦の薬味としてわさびが利用されてきました。
わさびの清涼感ある香りとツンとした辛みは食欲を増進させます。
わさびには抗菌作用があるため、夏場の食事では食中毒の予防効果を発揮します。
また生姜は、刺激のある風味と香りに特徴があります。
生姜は、寒い冬の料理には体を温める効果を求めて用いられますし、食欲の失せる暑い夏には冷奴などに添えて食欲を促す働きもします。
薬味は元々その名のとおり薬としての位置づけがあり、体調を整える料理としても活用されていました。
和食では、他にもネギ、ごま、カボスといった多くの薬味が用意され、主役である料理を盛り立てています。
薬味の元には「食薬同源」という思想があり、食事が身体に与える影響とその薬効を語っています。
薬膳の生まれた中国では、病気を未然に防ぐという観点から、健康の維持や促進に重点をおいて、普段の食事を大事に捉えてきました。
この思想が日本に入り、健やかな心と身体を保つためには日々の食事が薬となる「医食同源」の考え方が浸透していったのです。
日本人の体質や生活に合わせ、今日の栄養学も、それに基づいて考えられていると言われています。
医食同源と言えば難しく聞こえますが、日本では自然と生活の中に取り入れられていることも多くあります。
「冬至」に南瓜(かぼちゃ)を食べるという風習は、その典型例です。
栄養学の観点から、この時期にビタミンAの豊富な南瓜を食べることは、風邪の予防に役立っているので間違った習慣ではありません。
栄養学の確立されていなかった江戸時代(1603年~1868年)においては、秋にとれた旬の南瓜を貯蔵し、貴重な食料として寒い冬を乗り越えていたのですから、自然の恵みが与えてくれる健康維持の役割性を経験から感じとっていたのでしょう。
私たちは身近な食物の効能を知り、美味しく身体に取り込むことで体調を整えることができています。
食材に合った薬味を添えることは、料理を美味しくいただくためだけでなく、日常的に体を思いやる食生活をすることに繋がっているのです。
薬味の歴史
家庭の冷蔵庫にも、常備してある薬味がいくつかあるのではないでしょうか。
冷や奴には生姜やネギ、トンカツにはからしやごま、などが定番の薬味となっています。
普段の食事にも「あれば添える」ではなく、「絶対に必要な薬味」というものが存在します。
先人達の生活の知恵ともいえる薬味の活躍は、いつの頃から続いているのでしょうか。
薬味に関する歴史的記述を紹介します。
奈良時代(710年~794年)
わさび、生姜、のびる、山椒、辛子などが、既に薬味として使われていました。
また現存している柑橘類の中では最も歴史の古い柚子も、奈良時代には既に栽培されていました。
平安時代(794年~1185年)
あゆの塩焼きに添えられる薬味に蓼酢(たです)というものがあります。
蓼は辛味のある草で、すりつぶして酢と混ぜて薬味にします。
蓼(たで)についての記述は、平安時代中期の辞書「和名類聚抄」に「蓼は古くから魚の生臭ささを消すために使われていた」という記述が残っています。
室町時代(1336年~1573年)
京都吉田神社の神官であった鈴鹿家の記録「鈴鹿家記」に、刺身とわさびの組み合わせに関する記述があります。
「指身 鯉 イリ酒 ワサビ」と記されており、鯉の刺身にわさびを添えて食していました。
また室町時代後期に記された日本料理の流派である四条流の料理書「四条流包丁書」には、ナマス(魚の酢の物)には蓼が合うという記述があります。
江戸時代(1603年~1868年)
そばについての記述は、江戸中期の百科事典「和漢三才図絵」に、そば切りの薬味に「わさび、大根のような辛いものが良い」と記されています。
また江戸の古典書籍にも、うどんの薬味として「梅干し、垂れ味噌汁、鰹の汁、胡椒、大根、醤油汁がよい」と記述されていました。
ふぐ料理に欠かせない薬味
日本を代表する食文化に、ふぐ食があります。
ふぐを味わう際に相性のよい薬味は「もみじおろし」でしょう。
もみじおろしとは、大根に数ヶ所穴をあけ、種を取った唐辛子を埋め込んで一緒にすりおろしたもの、もしくは大根おろしに粉唐辛子を混ぜたもののことです。
淡い赤色がまるで雪に落ちた紅葉を連想させることから「もみじおろし」と呼ばれています。
大根おろしとなる大根は、室町時代(1336年~1573年)頃から一般的に栽培が始まったとされています。
その後、江戸時代に入ると蕎麦や天ぷらといった料理が庶民へ浸透しはじめ、消化酵素を含む大根おろしが効能を発揮し、様々な料理に欠かせない薬味として定着するようになりました。
もみじおろしのアクセントになる唐辛子が日本へ入ってきた時期は、1500年代半ば~1600年代初めが有力と言われています。 江戸時代の唐辛子は、体を温めてくれる薬のような存在として食卓に登場したようです。
それぞれの効能もさることながら、大根の白さと唐辛子の赤みは日本のおめでたい紅白の彩りとして、自然な出会いだったといっても疑問はありません。
美しい色合いが魅力的なもみじおろしの誕生は、必然的に組合わされた万能薬味なのではないでしょうか。
もみじおろしのよさとは
もみじおろしの赤色は視覚から食欲を誘い、ふんわりと山積みされたみずみずしい食感は、箸休めとしても嬉しい存在です。
唐辛子の辛味成分は、アルカロイドの一種であるカプサイシンを含み、身体のエネルギー代謝を上げて血行を促進させ、内臓の働きを活発にして消化を助けてくれます。
大根おろしに含まれるジアスターゼという酵素は、消化吸収を助け胃腸の負担を和らげてくれると共に、高い解毒作用をもっています。
また大根をすりおろすことで、免疫力や消化吸収を高めてがん細胞を抑制する成分、イソチオシアナートが生成されることがわかっています。
イソチオシアナートは大根の皮の付近に多く含まれているため、皮のままもしくは薄く皮を剥いてすりおろすとより効果的に摂取することができるでしょう。
ただ、消化を助け免疫力を上げる酵素やビタミンCは熱に弱いので、熱いタレに混ぜ込むのではなく、生のままつまんで摂取するのがよいでしょう。
また時間と共に効能も減ってしまうので、作り置きではない方が健康によいと言えます。
一般的に、もみじおろしが添えられる鍋料理が流行る時期は、肌寒い晩秋から冬が多いですが、この時期は美味しい食材が多く、ついつい食べ過ぎになる傾向にあります。
そのため消化を助けエネルギー代謝を上げるもみじおろしは、この時期うってつけの薬味なのではないでしょうか。
また体温を上げると体の免疫力も上がるため、もみじおろしは身体にも優しく健康的で、積極的に摂ることをお勧めしたい薬味なのです。
相性抜群!ふぐともみじおろし
日本には、美しい四季に合わせた料理を日常に楽しむ風習があります。
中でも寒い冬には、鍋という家庭料理が定番としてあげられ、日本の約50%以上の人が週に一度は鍋料理を食べていることが調査されています。
人気ある鍋の横綱といえば、白身魚のふぐをおいては語れません。
白身魚の鍋には、ポン酢とネギ、もみじおろしが添えられています。
身体の代謝を促進し、免疫力を上げる酵素を多く含むもみじおろしは、寒い季節こそ積極的に摂りたい薬味といえます。
また、ふぐの身は脂肪分が少なく固い筋肉質をしています。
高たんぱく質であるため、グルタミン酸やイノシン酸由来の旨味成分を豊富に含み、ほんのり甘みを感じる美味しさがあります。
実はそんなふぐにこそ、もみじおろしがよく合います。
薬味の効能として、大根はたんぱく質分解酵素であるプロテアーゼを含んでいるので、弾力あるふぐの身の消化を助けてくれます。
また唐辛子の辛味成分は身体を温めて血行の巡りをよくし、消化不良を解消してくれます。
もみじおろしは、唐辛子がもつキレのある辛さと、それを適度に抑え包み込むまろやかな大根おろしがうまく調和した薬味です。
大根おろしと唐辛子のそれぞれ異なる辛味が主張しすぎず、香りのよい身のふぐにはぴったり合うのです。
もみじおろしは、ふぐの奥深い味わいを最大限に引き出し、身体のことも配慮した最良の薬味と言えます。
ふぐの美味しさを支えるもみじおろし
薬味とは本来、解毒作用や食欲増進といった役割をもっていました。
毎日の食事に何気なく添えられていた脇役的な存在の薬味ですが、その組み合わせには意味があることをご紹介してきました。
「医食同源」の言葉からわかるように、私たちの身体は食べた物に影響されやすく、健康な心身を保つためには食材が教えてくれるその役割に注目することが大切だと考えます。
日本が誇る和食には、様々な薬味が用いられています。
薬味の香りは食欲を誘い、食材の長所を生かして短所を補う役目をもっています。
栄養学などわからなかった時代から、美味しい料理にはそれに適した薬味が添えられてきました。
不思議と理にかなった組合せは、代々の料理人たちが積み重ねた経験と知恵が生んだおもてなしと言えるでしょう。
和の食材であるふぐが持つ味の繊細さ、上品な美味しさを際立たせてくれる薬味は何なのか、先人が選んだ薬味は大根おろしでした。
ふぐは歯ごたえを楽しみ、よく噛むことでじっくりと旨味を味わう食材です。
そんなふぐを生かす薬味は、刺激が強すぎず、柔らかな口当たりのものが良いでしょう。
ふぐの持ち味を生かしつつ消化をサポートしてくれる薬味は、同じく上品でまろやかな味わいの大根おろしがピッタリなのです。
そしてマイルドな辛みの大根にアクセントをくれるのが唐辛子の清涼感ある辛味です。
大根おろしはたんぱく質の多いふぐの消化を助ける複数の酵素を含有し、唐辛子の辛味成分はエネルギー代謝を上げ、健康の礎となる免疫力アップが期待できます。
この二種類の薬味がタッグを組むと、主役であるふぐ料理の美味しさを引き立て、身体によい成分が自然と心身を満たしてくれます。
もみじおろしは淡泊な旨味をもつふぐ料理の旨味を存分に味あわせてくれる、最強の名脇役と言えるでしょう。
メインの味を変えるわけではなく、食べる人の好みで調節しながら、料理と会話するように食事してみてはいかがでしょうか。
美味しくて健康によい薬味を上手に活用し、ふだんの料理に一花咲かせる名脇役たちを楽しんでほしいと思います。
そして今日から、料理に添えられた薬味に目を向けてみてください。
なぜこの薬味が添えられているのか、そこを考えるとさらに食事が楽しく満たされた気持ちになるはずです。
もしくはあなたが料理を作る側なら、大切な相手の体調を考えて薬味を選ぶと、その想いが幸せを呼んでくれるでしょう。
薬味とは、料理を引き立てる名脇役であり、食べる相手を慈しむ料理人の心そのものなのです。