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ブリ

ブリは北海道の南から九州まで、日本各地の近海で見かける馴染み深い魚です。
昔から日本近海でよく獲れる美味しい魚であり、出世魚として縁起の良いブリは、祭事の供え物や祝い膳に用いられ、特に西日本では年末の年取り魚としてもニーズがあります。
冬の訪れと共に、店頭には天然ブリが並び始め、「脂のりのよいブリの美味しい季節がやってきたなぁ」と感じる人も多いでしょう。
しかし、店頭では切り身で売られていることが多いため、ブリ本来の姿をご存じない方も多いでしょう。
ブリの全長はどれくらいあるのか、どこを泳いできたのかなど、気に留めない人がほとんどかもしれません。
では、「なぜブリは冬が美味しいと言われるの?」、「どこで獲れたブリがオススメ?」「ブリとハマチは、同じ魚だったの?」など、馴染みのある魚なだけに素朴な疑問を次々と解明していきましょう。
また各地で水揚げされた天然ブリや養殖ブリはご当地ブランドとして商品化され、それぞれの魅力を打ち出す動きが活発化しています。
ブリの生態や名前の由来など、気になる基礎知識をまとめました。ブリという魚にまつわる、色々な扉を開いてみましょう。

ブリのプロフィールを見てみよう

ブリのプロフィールを見てみよう

出世魚であるブリは成長に合わせて名称が変わり、8kgを越える成魚となったものがブリと呼ばれています。
ブリは漢字で「鰤」と書き表します。
漢字のもつ意味と、なぜ「ブリ」と呼ばれるようになったのか、名前のルーツをのぞいてみましょう。

ブリは日本近海に生息しているため、比較的漁獲しやすい魚種であり、さらにとても美味しい食糧として昔から日本人の食卓に取り入れられてきました。
大切なタンパク源として需要のあったブリですが、昭和に入ると漁獲量が減少し、安定した食糧確保のために養殖業も営まれるようになります。
現在、一年を通じて私達の食卓にお目見えする魚「ブリ」の入門篇、ブリのプロフィールとも言える基本情報をまとめてみました。

ブリの基本情報

ブリは、スズキ目スズキ亜目アジ科ブリ属に分類される海水魚です。
学名はSeriola quinqueradiata、英名はJapanese amberjackといいます。
同じブリ属の近縁種には、カンパチやヒレナガカンパチ、ヒラマサなどがいます。

ブリの体型はラグビーボールのような形をしており、丸みを帯びた厚みがあります。
口元は口角部分が角張っていて、青みがかった体の目から尾ビレにかけて薄い黄色のラインが走っています。

ブリの寿命は7~8年と言われており、孵化してから5年ほどで体長1mくらいまで成長し、体重は15㎏前後まで成長する大型魚です。
ブリの子は、一般的に10㎝未満の稚魚をモジャコと呼び、35㎝ほどになるとワカシ、ツバスと呼び、50㎝ほどになるとイナダ、ハマチと呼び、70㎝ほどになるとワラサ、メジロと呼ばれます。
ブリと呼ばれるようになるのは4~5年が経った80cm以上のもので、ブリは成長段階で名前を変えることから「出世魚」という縁起魚に選ばれています。
現時点で、「Japan Game Fish Association」で公認された国内の最大のブリは、2005年12月11日に三重県石鏡沖で釣り上げられた22.1㎏、115cmの記録で、同時に世界記録にもなっています。

ブリは日本近海の、琉球半島を除いた北海道南部から日本海南部、太平洋付近に生息しています。
暖かい海流を好むブリは、北西太平洋の暖流に乗って群れを作り、餌となるアジやイワシを追って水深約100m付近を回遊しています。
日本の四季に合わせ沖合に出ていく回遊魚で、春から夏にかけては日本の沿岸部を北上していき、北海道付近の海で栄養と脂をもったプランクトンや小魚を食べて大きく成長します。
そして、北の海で栄養を蓄え丸々と太ったブリは、初冬から春にかけて沖合に出て南下していきます。

ブリの美味しさの魅力はとろっとした脂と、こりっとした食感にあります。冬の寒ブリは特に栄養価も高く、脂がのっており、格別の美味しさです。
ブリの甘い脂には、コレステロールや中性脂肪を下げてくれるDHAやEPAの多価不飽和脂肪酸が含まれており、集中力を高め、生活習慣病を予防するなどの効能があります。

「ブリ」名前の由来

ブリと名付けられた由来は諸説あります。
ブリは漢字で、魚篇に師を添えて「鰤」と書きます。
旧暦の師走(12月末~2月中旬)がブリの旬の時期と重なるため、「鰤」となったと言われています。
また、中国では大魚であるブリを「老魚」と呼ばれていたため、「年寄り」という意味をもつ「師」という漢字を用いたとの説もあります。

では、ブリという呼び方はどうでしょうか。
中国でブリを表す「老魚」を日本語で表すと、年を経た魚との意味で「経魚(フリウオ)」となります。
しだいに「フリ」が濁って「ブリ」となったという説があります。

また別の説は、江戸時代(1603年~1868年)に活躍した本草学者である貝原益軒(かいばらえきけん)が、元禄12年(1699年)に書いた語源辞典「日本釈名」に記された一文に取り上げられています。
日本釈名にあるブリの由来は、「脂多き魚なり、脂の上を略する」すなわち「アブラ」の「ア」を略して「ブラ」となり、それが訛って「ブリ」となった、ということですね。

一年で最も美味さが増す寒ブリの時期12月には、ブリに注目を集める「ブリの日」なる記念日まであります。
12月20日がブリの日となったのは、「2(ブ)」「0(輪)」と読む語呂合わせから提唱されたようです。

ブリの養殖業

ブリは需要の大きい魚として養殖が活発に行われています。
現在、日本のブリ水揚げ量の半分強は、養殖ブリが占めています。
天然ブリの稚魚であるもじゃこを漁獲し、成魚に育てています。

ブリの養殖は、昭和2年(1927年)に香川県(旧引田町)にて始まりました。
いけすを使った飼育ではなく、海を堤防で仕切った「築堤(ちくてい)式養殖施設」と呼ばれる方法で、海水をそのまま利用した飼育が最初と言われています。
天然ブリの水揚げ量が減ってしまった為、食糧確保の目的で始まったブリの養殖ですが、一年を通して旬と言えるほど安定した味わいが魅力であり、脂のりもよく市場では高く評価されています。

現在、ブリの養殖上位3県は鹿児島県、愛媛県、大分県と、ブリが好む暖かい海流の地域での養殖が盛んです。
海面養殖は、その海域の潮の流れや海水の温度といった特色がそのままブリの味に反映されるため、産地ごとの恵みを受けたブランドブリが多数誕生しており、消費者の興味をひく販売競争がされています。

天然ブリはアニサキスなどの寄生虫の心配を耳にしますが、養殖ブリは原因となる餌が管理されているため、寄生虫はつきません。
また養殖は、餌で魚体の美味しさをコントロールできる強みがあり、法律で決められた基準の安全性を追求しながら健康なブリを育成しています。
今では、地元で採れた柑橘類を餌に加えることによって生臭さを抑えた養殖ブリ(ハマチ)が登場するなど、人間が美味しさを追求しながら育てられる強みを活かして、養殖ブリならではのファンを増やしています。

各地で生まれたブリのブランド

ブリの身に最も脂がのって美味しくなるのは冬ですが、それは春の産卵に向けて栄養を蓄え、越冬する時期だからです。
丸々と太った冬のブリは「寒ブリ」と称され、名漁場ではブランド化されるほど、その美味しさには定評があります。

自信の持てる商品は、他との差別化を図るため、産地を前面に押し出して商品化されます。
天然ブリの水揚げ地域では、ご当地ブランドとしての付加価値の付いた有名なブリがいくつかあります。

寒ブリの到来の地として名高い石川県漁協が立ち上げた「天然能登寒ブリ」は、冷たい日本海で締まった身と腹身の脂肪含有量が30%以上という脂の旨味を強みにしたブランドです。

富山県氷見漁協が立ち上げた「ひみ寒ブリ」は上質な脂ののり方が格別と言われ、鮮度の高さを誇る寒ブリの絶対王者として君臨しています。

福井県の美浜町と漁業協同組合は、日向漁港で水揚げされたブリを4~5日水槽で泳がして活け越しし、独自の基準を設けて選別し抜いた1割程度のブリを「ひるが響」としてブランド化しました。

また、養殖ブリもブランド化が進んでいます。
大分県の豊後水道は日本有数の漁場といわれ「豊(とよ)の活ブリ」と呼ばれる養殖ブリを育て、他の産地との違いをPRし、地域の活性化を図っています。
さらに大分県はかぼすの生産量が全国の9割を占めるかぼす王国です。その名産品であるかぼすを餌に加えて育てた養殖ブリは、長く鮮度を保ち色鮮やかで臭みのない美味しいブリとなり、「かぼすブリ」として地域ブランドの付加価値を保っています。

鹿児島県東町漁協では、オリジナル飼料を与えて育てた「鰤王」という養殖ブランドブリを打ち出しています。
稚魚から出荷までを一貫生産しており、トレーサビリティシステムで生産者の飼育情報などを構築した安心安全体制をとっています。

宮崎県串間市の沿岸に広がる日向灘で養殖されている「黒瀬ブリ」は、出荷三ヶ月前から餌に唐辛子を混ぜて、唐辛子の成分カプサイシンの力でほどよく脂ののった身質に育て、歯ごたえと色合いを追求したブリをブランド化しています。

ブランドブリを名乗れるのは、定められた基準をクリアしたものだけなので、その品質には保証があります。
それぞれの地域ブランドとなったブリの味わいは、ご当地の海の特徴や餌の違いで差別化されており、いろんなブランドブリが地域の経済発展に一役買っているようです。

ブリにまつわる小話

ブリにまつわる小話

ブリは日本特有の魚であり、また「年取り魚」としても正月には欠かせず、古くから馴染み深い魚のため全国各地で根付いた呼び名に違いが見られるなど、話題に事欠かない魚です。
昔から私たちの生活に密着してきた魚なのだとわかる、ブリにまつわる逸話が語り継がれている地域も多くあります。
神聖な魚「ブリ」の雑学として、知っておくと面白い小話を集めました。
また、全国で食べられているブリの様々な調理例もご紹介します。

「年取り魚」に選ばれたブリ

「年取り魚」という言葉を耳にしたことはありますか?
別名、年越魚や正月魚と言われることもある縁起物の魚です。
大晦日に、年神様をお迎えするための祝い膳に使用されるメインの魚を「年取り魚」と呼んでいます。

大晦日のご馳走は、1年を無事に過ごせたことを感謝し、新しい年を迎えられることの喜びと願いを込めて年神様へ奉納したものです。人々は、それを下げた物をいただくのです。
年取り魚には地域差があります。主に関東から東北や北海道までの東日本では、年取り魚にサケを用いる地域が多く、ブリを用いる地域は長野県付近から西日本以南が多くなっています。

日本列島の東と西は、大断層の糸魚川静岡構造線が大まかな境界線となり分かれています。
境界線上となる長野県の年取り魚は、東側の長野市ではサケ、西側の松本市ではブリ、また混合地域があるなど、県内で年取り魚の違いが見られる面白い地域となっています。

ブリは稚魚から成魚への段階で名前を変えていくことから、出世魚と呼ばれます。
戦国時代の武士や貴族は元服前に幼名を持ち、成人した時、立場が変わった時に呼び名も変わるのが通常でした。
その習慣は農民や町人にはなく、人々は名前を変えていく出世魚に、希望やステップアップといった門出を祝う気持ちを馳せたのでしょう。
現在も、神様へお供えする年取り魚に縁起のよいブリを用いて、大切な家族の立身出世を願っているのです。

美味しいブリの郷土料理

ブリ料理のいろはは、各地で違いが見られバラエティーに富んでいます。
旬の鰤には脂が霜降り状に入り、ジューシーで旨味が強く食べ応えがあります。新鮮なものはやはり刺身で楽しむ方が多いでしょう。
最もポピュラーなブリ料理に、正月の祝い膳にも含まれているブリの照り焼きがあげられます。
しっかり味の染みたブリ大根も、人気の定番メニューですね。

山深い長野県松本市では、塩ブリに加工された富山湾のブリが輸入され、めったに食べられない贅沢なご馳走として重宝されてきた歴史があります。
松本市では塩ブリを切り身にして茹で、お雑煮などの汁物として味わってきました。
同じく長野県の上伊那地方では、白味噌と酒粕を使ったブリの酒粕煮が郷土料理として食べられています。
京都の日本海に面した伊根町は日本三大鰤漁場のひとつで、ぶりしゃぶ発祥の地として有名です。
大分県では、ブリの刺身を醤油ダレに漬け込んだものをご飯にのせ、ゴマとネギを振りかけていただく温飯(あつめし)が農林水産省選定「農山漁村の郷土料理百選」に選ばれています。
ブリの養殖業が盛んな鹿児島県では、醤油とみりんに漬け込んだ切り身に塩をまぶし、衣を付けて揚げたブリカツを作ります。タルタルソースとの相性は抜群です。

他にも、富山のブリを漬物にしたブリかぶら漬け、高知のタレぬたを浸けて食べるブリの刺身など、ブリの美味しい食べ方を探すときりがありません。
また近年、海外への輸出も始まったブリは、トマトソースで煮込んだり、甘酢餡かけにしたりと、多様な味で楽しめる魚として人気を集めています。
ますますレバートリーの広がるブリ料理が、次の世代へ残る郷土料理となる可能性もあるでしょう。

ブリ好きが起こした騒動

寒ブリの美味しさは、遥か昔より争いの火種となるほどだったとわかる、歴史的な出来事を一つ紹介しましょう。
慶長8年(1603年)に生まれた稲葉紀通という、戦国武将のお話です。

紀通は5歳の頃、父から受け継いだ伊勢田丸藩の藩主となります。海に近い田丸藩は海産物に恵まれ、紀通は美味しい海の幸を楽しんで暮らしていました。
紀通は、大阪冬の陣(1614年)で初陣を果たし、戦国時代最後の大合戦である夏の陣が終わり、紆余曲折の末、寛永元年(1624年)丹波の福知山藩藩主となります。

福知山藩は内陸部(現在の京都府福知山市)にあり、海の幸は容易には手に入らなくなりました。
ある雪の日、昔食べた寒ブリの味を思い出し、どうしても食べたくてたまらなくなった紀通は、隣の丹後の宮津藩主である京極高広へ「寒ブリを100匹ほど頂きたい」と手紙を出します。

寒ブリは献上品ともなる藩の貴重な資産でした
手紙を読んだ高広はその数に驚き、「我が藩の名産をもしや横流しに使うのか?」と疑心暗鬼になりました。
高広は、領民に対する暴政や家臣の虐殺などが問題視されていた紀通に不信感があったようです。
ともかく寒ブリを手配しますが、紀通がその寒ブリを幕府や他の藩主への賄賂として使えない様に、ブリの頭を落として紀通へ進呈したのです。

「頭を落とした魚を送る」ということは、とても失礼で縁起の悪いことでした。
侮辱されたと激怒した紀通は寒ブリを投げ捨てたといいます。そして、その怒りは丹後から福知山へ来る人々に向けられ、無差別に殺してしまいます。
この所業は幕府が知ることとなり、討伐命令がくだされました。
近隣諸国から軍政が向けられた紀通は、処分が下される前に火縄銃で自害、その後、お家断絶とまでなったそうです。
美味しいブリを巡った暴君稲葉紀通の、悲しく凄まじいお話です。

人々の希望をのせた「ブリ」

人々の希望をのせた「ブリ」

日本列島沿岸を泳ぐブリは、昔から日本人の生活と共に長い年月を過ごしてきた、馴染み深い貴重な海の幸です。
ブリの価値はこってりとした濃厚な脂にあります。筋肉質で締まった身は煮ても崩れにくく、甘さを感じる旨味をもった美味しい食糧です。
そして昔から変わらないのは、ブリは立身出世を願う縁起のよい魚で、皆を魅了する美味しさをもっているという事実でしょう。

ブリが幼魚から成魚となるまでに呼び名を変えるのは、その段階で姿や味に違いがあるからです。
成長ごとに脂をつけて身質がよくなり、状態を区別するために名前を変えるのは、まさに人間の出世と重なります。
人々は新しい門出に立った時、成長の喜びと共に祝いの膳にこの出世魚を縁起物として食べてきました。
全長80cmを越える大きなブリは神事の供物としての役割が大きく、上等なブリは権力者への献上品として扱われるなど、高価なものであったことがわかっています。

ブリは寒くなる師走頃に旬を迎えることから、漢字で魚篇に師を合わせて「鰤」と書き、身の特徴となる脂(アブラ)を略したブラが訛って「ブリ」と呼ばれるようになったとも言われています。

お節料理や郷土料理として、日本の各地にブリの美味しさが伝承されています。
新しい年に歳神様を迎えるための大切な料理には、年取り魚のブリを頂き、家族の繁栄を願い、感謝と希望に溢れためでたい新年を祝っていたに違いありません。
ブリの旬である冬に出回る寒ブリの地方に残った郷土料理の美味しさは、昔も今も寒ブリの旨さは人々の心を捉えて離しません。

ブリは、全国各地で様々な食べ方をされています。
刺身や塩焼きだけでなく、保存食として加工されたり、漁師飯として調理されたり、地域の特産品とコラボレーションされた特徴ある味付けなど、美味しさに制限なく人気を博しています。

冬のご馳走であるブリは日本人に愛され、安定した供給を保つために養殖業が盛んになりました。
特に西日本は暖かな海域を好むブリの養殖場として適しています。
そこでは天然ブリに負けず劣らずの良質のブリが育ち、独特な個性あるブランドブリも立ち上がっています。

ブリの基礎知識を頭の片隅に置くと、普段の店頭で見るブリのブランドに目が留まり、美味しい食べ方もひらめきやすくなるでしょう。
また、旅先で出逢うブリに違いを求め、その地でしか食べることのできない美味しさを楽しんでいただけるかもしれません。

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